HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Craig Richards

イタリアのベテランDJ/プロデューサー Donato Dozzy。13歳よりレコード収集をはじめ、大学では政治学の博士号まで取得している異色の経歴の持ち主。サイケデリックロック、トランス〜クラシックをバックグラウンドに、故郷ローマの老舗クラブ Brancaleone にて11年間レジデントを務め、その後ベルリンへ移住。すぐさまかの Panorama Bar のレジデントに抜擢され、アフターアワーズDJとして3年間活躍した後イタリアへ帰還。現在はローマにスタジオを建設しているという。一方では自身のレーベル Dozzy Records を主宰し、自身が"マイクロトランス" と提唱するサウンドを多く世に送り出している。

一昨年、昨年と The Labyrinth へ出演し、一躍日本のシーンにその名を轟かせた彼。音楽思想やイタリアのシーンについて、盟友 Mike Parker, Mathew Jonson との関係や楽曲制作における話まで、彼の知られざる素顔が明らかとなった、とても興味深い内容となっている。

Interview : fresh good minimal
Translation : Shogo Yuzen
Introduction : Midori Hayakawa (HigherFrequency)
Special Thanks : Dave Twomey

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-- クラブ・ミュージックはどのように自然と関係しているのでしょうか?

D.D (Donato Dozzy) : この音楽は自然と共存しているんだ。もし僕が全てを決めてもいいなら、パーティーは全部野外でやっていただろうね。この音楽は時間をかけるべきものなんだよ。空や星と一緒に聞くべき音があるっていうことをみんなが理解する必要がある。屋内のパーティーだと、どれだけいいクラブに行ったって星を見ることや、手を上げて何かに触れて感じ取ることはできないよね。後、クラブによってはたくさんタバコを吸ってる人がいる。僕自身タバコは吸うんだけど、喫煙者の僕でさえ3、4時間経つと息苦しくなるんだよ。また僕たちの身体を蘇らせるっていう意味もあるんだよ。野外にいればいい環境で奇麗な空気が吸えるから脳が働いて音をもっと理解できるんだ。外にいていい音響があればそれ以上は何もいらないよ。

-- あなたは何故ミニマル・ハウスが嫌いなのでしょうか?

D.D : 僕はただ流行を追いかけただけの個性の無いものが嫌いなんだ。別に僕は音楽自体に対して怒ってるわけじゃないんだ。ただ純粋に、本物の音楽を頭を使って作ろうともせずに、流行に従うだけの怠けている人達が嫌いなんだよ。自分自身の道を歩いていれば、リリースをすることや有名になることに対してプレッシャーなんて感じないはずだよ。それが全てじゃないんだ。大切なのは自分の伝えたいメッセージを広めることなんだよ。

-- あなたはどんなメッセージを広めているのですか?

D.D : 音を楽しんで、自分自身の道を見つけること。別に特別なことじゃないよ。音楽っていうのはすごく効果的なセラピーなんだ。だからくだらない話を延々とするよりも家でいい音楽を聞いてリラックスすることで、物事を違う視点から見ることの方が効果的なんだよ。僕は音楽を作ってる時や人の音楽を聞いている時に笑顔になるんだ。それが大切なんだよ。神様がそれを感じられるようにしてくれたから、僕は音楽を通して人の気持ちを伝えることが出来るんだ。連鎖反応みたいなものだよね。何も感じないものを聞いた時にはすぐに別のものに乗り換えることにしてる。だから僕は流行が嫌いなんだ。

-- どのようにプレイのセットを決めていますか?あなたのセットはトリッピーな雰囲気を持っているように感じるのですが、それは気のせいでしょうか?

D.D : いや、気のせいじゃないよ。基本的に僕はDJプレイを他の人を満足させるためだけじゃなくて、自分自身のためにもやってるんだ。僕は色んなものに影響を受けてるね。サイケデリックロックからクラシックまでなんでも聴くよ。昔はいいトランスがあった時代にはトランスを聞いたね。90年代初頭のイタリアには最高のシーンがあったよ。だけど、突然何かがそれを止めてしまったんだ。Plastikman はすごく良いよね。僕はプレイセットで Plastikman をかけるんだけど、昔のトラックを聞くと鳥肌が立つよ。他にも同じ時代のアーティストの Emanuel Top をかけることも多いね。特に野外だと Emanuel Top をかけずには居られないんだよ。彼の特徴としてトラックが長いんだ。8〜10分も曲があるんだけど、いつも盛り上がって、落ち着いて、また盛り上がる。それに僕もみんなも夢中になるんだ。僕はトリッピーな音楽には情熱を持ってる。僕にとって大切なのはトリッピーであるかどうかでBPMなんかはどうだっていいんだ。

-- 他に好きなアーティストはいますか?

D.D : 僕よりも年上だからずっと影響を受け続けてきたのは Mike Parker だね。彼は独身で Buffalo University の先生なんだけど、時代なんて関係ないぶっ飛んだアナログの音楽を作るんだ。僕にとってはいい友人でもある。僕は彼の大ファンで4年前に彼に 「僕もいいものを作ってるから、絶対に聴いて欲しい。」 ってメールしたんだ。最初彼はビックリしてたみたいだけど、返事をくれたから僕の音楽を彼に送ったんだ。そしたらそれをすごく気に入ってくれてね。それから今までずっとお互いに尊敬できる関係を続けて来てるんだ。毎年彼は大学から休みを取って僕と曲を作る為にイタリアまで来てくれるんだ。人間として、ミュージシャンとして最も尊敬している人と一緒に仕事ができるなんて僕は恵まれているよ。

-- イタリアのミニマルについてはどう思いますか?

D.D : イタリア人が使うレシピみたいなものだろうね。ドイツのミニマルの続きみたいなものだと思う。ドイツのミニマルはいいタイミングで作られたと思うけど、その点でイタリアのミニマルは違うかな。だけど、全く違うシーンがイタリアには存在するよ。Marco Carola がやっていたことが元になっているんだけどね。彼はイタリアのミニマル・シーンと全く接点はなくて、ネープルスで全く違う音楽のムーブメントを起こしてるんだ。そのシーンの代表者には他にも Rino Cerrone や Danil Vigorito がいるよ。だけど、ミニマルは周りの音楽に影響を受けやすい音楽だよね。彼らがやっている音楽っていうのは全く他のジャンルからは隔絶されたものなんだ。今となってはそこまで興味はないけど、彼らの伝えようとしていることにすごく興味を持った時期はあったね。

Craig Richards

-- 今のめり込んでいる音楽は?

D.D : 僕はトランスからサイケデリックテクノまで作るよ。大切なのは雰囲気だと思う。僕は色々なものを聞くし、色々なものを作るけど、それらは全部雰囲気っていう面では統一されているんだ。今僕は新しい音楽の制作を行っているんだけど、それがすごく刺激的なんだ。それに僕は一万枚ぐらい色んなレコードを持っているから、それらから影響を受けることも多くて、常に僕は変化してるんだ。僕は昔のレコードと新しいレコードを混ぜ合わせることが好きなんだけど、聴く人にとってはそれがすごく不思議なんだ。それが新しい音なのか古い音なのかわからないし、関係の無いことだよ。

-- 昔の音楽は今の音楽よりも良いと思いますか?

D.D : そうは思わないけど、もっと人がちゃんと考えていた時期や大きな波があった時期があったと思う。その頃に作られた音っていうのは感じるものがあるし、衝撃的で自分の中に入ってきて忘れられないものになるんだ。だけど、そういう時期も自然死を迎える。もうアイデアが残ってなくて、何かを感じるようなものが無いっていう時期が包んだ。2007年ぐらいにそれを感じたんだけど、その時期はいい音楽を探したって全部同じようなミニマルしかなくて変になりそうだったよ。だから自分のDJセットにも音楽がなくて、本物の感触を感じることができなかったんだ。

-- その本物の感触とは?

D.D : 安心感があることだね。バッグを開いた瞬間に自分が何をすべきかがわかること。プレイは自分の精神状態や感情が左右する部分もあるんだけど、自分の持っているレコード達の力もすごく大切なんだ。それが僕の感情をオーディエンスに伝えるものだからね。

-- どんな音楽を聴いて育ってきましたか?

D.D : 僕の経験の中でロックミュージックが持つ影響は大きいね。The Who のアルバム "Tommy" を数えきれないぐらい聞いたし、もちろん Pink Floyd もよく聞いてたね。もっとエレクトロなジャンルで言うと、Georgio Moroder かな?僕の永遠の憧れだよ。ああいうエレクトロニックなディスコサウンドが好きだったんだ。夢を見ているような気持ちにさせるし、夢中になってたね。それから僕は自分が受けた影響を取り入れ始めたんだけど、その頃にもっとディープでアンダーグラウンドなシーンの人たちについてを知りたいと思ったんだ。それで好きになったのが Spaceman 3 だった。生音の楽器で作られたサイケでエレクトロな音楽は衝撃的だったね。後はトリップ・ホップとかもよく聞いたよ。

-- ディスコの復刻についてはどう思っていますか?

D.D : その 「復刻」 っていう言葉はまさにいい表現だと思うよ。今みんながシーンを取り戻して、みんなに見せてやろうって思ってる時期だと思う。全部が全部いいとは思わないけど、この復刻はいいところがたくさんあると思うよ。

-- 今はDJのみで生活しているのですか?

D.D : 今はそうだね。でも昔は政治学も勉強してた。実際に博士号も持ってるよ。学んだことを活用して大使館で仕事をする事も出来たんだけど、結局は音楽をやっているね。ローマで Brancaleone のようないいクラブに巡り会えたのが理由かな。僕はそこでレジデントDJを11年間やってきたから、経済的な安定も得られたし、他のDJ達と知り合ったり、自分よりも経験のあるDJ達から学ぶ機会を得られたんだ。

-- 例えば誰から学んだと思いますか?

D.D : 僕の先生と呼べるのは70年代、80年代にディスコをかけて有名だったローマ出身のイタリア人のDJ2人、Peter と Paul Micioni からかな。彼ら2人は兄弟なんだけど、僕がまだ若かった頃にクラブに連れていってくれたんだ。彼はいつも僕のことを悪いものから守ってくれて、ひたすら音楽への熱意ってものだけを教えてくれたんだ。その頃僕はまだ学生だった。丁度スタジオで音楽を作り始めた頃だったんだけど、彼らは僕の素晴らしいお手本だったね。そう考えると今僕は38歳だからもうクラブに出入りするようになって20年が経つんだね。

-- Wagon Repair とはどのようなきっかけで知り合ったんですか?

D.D : Mathew Jonson とは長年の友達でね。彼とは Mike Parker と友達になったのと同じように友達になったんだ。僕は彼の作る音楽を高く評価していたし、2003〜2004年ぐらいに彼も僕の音楽を聞いてすごく気に入ってくれた。だから僕がローマに行って、彼に会いに行ったんだ。それで一週間を共にして Branceleone の街で時間を一緒に過ごしたんだよ。それをきっかけに彼とは良い友達になったんだ。それから彼が Wagon Repair オーガナイズのパーティーに僕をブッキングしてくれるようになったり、彼のリリースする作品に参加させてくれたりしたのがきっかけだったね。

-- どのようにして Panorama Bar でのレジデントDJの座を獲得したんですか?

D.D : ローマにはいい人やプロデューサーがいたんだけど、人と人との間に本物のつながりが感じられずにすごく孤独だったんだ。その環境に満足できなかったから、34歳の時に新しい経験や新しい友達を作って情報交換することが必要だと思って、3年間ベルリンで生活したんだ。ベルリンに引っ越してからすぐに Panorama Bar でレジデントDJを始めた。その2年前にイタリアでの僕がプレイした時の音源を彼らが気に入ってくれてたんだ。当時僕は Panorama Bar っていうのが一体何なのかさえ判ってなかったんだ。実際それは良かった事だと思うけどね。最初にプレイした時にそこが有名なところだって知らなかったから緊張する事も無かった。ただ普段通りの気持ちでそこに行って、いいプレイができたんだ。それから毎月あそこでプレイするようになって、彼らは僕を朝の7、8時よりも前にブッキングすることはなかった。僕は常にアフターアワーの良い時間に6、7時間プレイしてたんだ。

-- 3年間の生活を経て、ドイツ語はどの位話せるようになりましたか?

D.D : 最初僕は Kreuzberg に住んでいて、次に Prenzlaurber に引っ越したんだけど、まったくドイツ語を学ぶことはなかったね。多分 "Guten abend" ぐらいかな?僕が交流を持ってた友達の輪の中にドイツ人は少なくてみんな基本的に英語をしゃべっていたんだ。カナダや南アフリカ、他にも世界中から来た人たちと友達になれたよ。イラン人も多かったから、ドイツ語よりもイラン語の方がしゃべれるようになったかな。

-- ベルリンで自分が変わったと思いますか?

D.D : 僕は変わったと思うね。それまではイタリアの文化で育った人としか出会うことがなかったんだ。それも楽しいことだし、イタリアの文化も面白いものだと思うけど、それだけだとだんだん人は倦怠していくと思うんだ。だから、僕は他の文化に触れなくちゃいけないと思った。別の言葉をかっこよくしゃべって、今まであったことの無いような人たちと交流を持った。いいミュージシャンにも出会うことが出来たし、それ以上に人間として素晴らしい人たちと会う事が出来たんだ。それはもう音楽カルチャーやクラブシーンの域を超えて、毎日の生活の中で僕に刺激を与えてくれたよ。

-- 何故ベルリンを離れたんですか?

D.D : もう十分だと思ったんだよ。3年間をベルリンで過ごして、そろそろイタリアに戻らなきゃいけないと思ったんだ。ベルリンでの友達とはずっといい関係を続けていくけど、イタリアにも僕を待っている人たちがいる。その時はイタリアの自然が必要だと思ったんだ。戻って音楽を作るべき時だと思った。

-- 他の国で有名なのと同じようにあなたはイタリアでも有名なのですか?

D.D : 不思議なことで、多分これはイタリア人の性格だと思うんだけど、僕がベルリンから戻ってきたらみんな僕には付加価値が付いたと思ったみたいでね。ベルリンから戻って来たって、僕は僕のままだったんだけどさ。でも他の国から来たって言うとそれを特別なことのように感じるみたいだね…本当は何も変わってはいないんだけどね。今はフェステティバルでのプレイのオファーをもらってるよ。例えば7月の Tuscany の Electrowave とか。Marcel Dettmann と出演するんだけど、朝の8時までイベントはあって何時間プレイするのかわからないんだ。他の部屋では Kraftwerk や Aphex Twin のライブもあるよ。驚きだね。15年間制作を続けてきて、やっとイタリアでも認知されることが出来たよ。

-- 今進めているプロジェクトはありますか?

D.D : ローマに機材を搬送して新しいスタジオを作るのに手がいっぱいだったから、何ヶ月も仕事を休んでたんだよ。今はスタジオの最終セットアップを行ってる。あとはスタジオの音に慣れて、リリースをするだけだね。最近は Manuel Nuel と一緒に作ったレーベルの Aquaplano から aquaplano 1111 っていう作品をリリースしたばかりなんだ。今は彼と一緒に限定版のバイナルのレコードを今年中にリリースするために制作をしてる。あと、Wagon Repair と何かをするのも確かだね。他にも Time To Express から Cio D'or とのコラボレーションの "Menta" をリリースするし、Lerosa とのコラボレーション作品も Apnea Records から夏以降にリリースする予定だよ。9月には Aquaplano の限定版シリーズで Nuel のソロをリリースするよ。

-- 好きな機材はなんですか?

D.D : Roland TR-808 のドラムマシンだね。もし塔のてっぺんにいて、909か808を捨てなきゃ行けないって言われたら、捨てるのは909だね。僕のお気に入りのシンセサイザーは Roland TB 303 だよ。僕はこれを2つ持ってる。一つはオリジナルバージョンで、もう一つは改造版なんだ。改造版の方はすごくトリッキーで不思議な音を作るのに適しているんだよ。

End of the interview




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