HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

DJ Sneak Interview

8月26日〜27日にかけて伊豆の修善寺で行われた Metamorphose06 に出演し、 持ち前のファンキーかつグルーヴィーなハウス・ミュージックでクラウドをロックしてくれたプエルトリコ出身の大御所ハウス・アーティスト DJ Sneak が、そんな熱狂のステージングの後 HigherFrequency とキャッチ・アップ。

尊敬して止まないという Todd Terry と行ったプロジェクトについてや、自身のキャリア、料理人になる夢などについて語ってくれた。

> Interview : Nick Lawrence (HigherFrequency) _ Translation : Terumi Tsuji _ Introduction : Kei Tajima (HigherFrequency)

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HigherFrequency (HRFQ) : 最近のインタビューで Todd Terry が、あるビック・プロジェクトを計画中だと話していましたが、あなたもそのプロジェクトに関わってらっしゃるそうですね。

DJ Sneak : 全てはマイアミの WMC から始まったんだ。パーティー終了後、タクシー待ちをしていたTodd を俺の車に乗せてあげたのが切っ掛けさ。ホテルに着くまでの1時間半、俺たちはずっと音楽について話してたよ。俺たちにとって Todd Terry がいかに偉大なアーティストかってね。彼のレコードはファーストから全部持ってるんだ。シカゴ出身の俺でさえ彼からは大きな影響を受けていて、俺のスタイルを語る上で彼は必要不可欠さ。よく "DJ Sneak 特有のビート" って言われるけど、実は彼から受け継いだようなものなんだ。でも俺たちの次の世代の中には、Todd Terry をよく知らない人も多いし「当時の曲をもう1度リリースしたらどうだろう?」って話になってね。それから1ヶ月位経った頃に、Todd から NY のスタジオに来て欲しいという連絡があったんだ。

NYでの4日間は豪華なパーティーのようだったよ。俺は5曲に関わったけど、結局( Todd は)俺と Roger Sanchez が一緒にプレイしたナンバーを選んだんじゃないかな。皆でアイディアを出し合って、最終的に Todd が仕上げるって感じだったんだ。Armand Van Helden がちょっと遊びに来たと思えば、Kenny Dope と4日間過ごしたりね。本当ビックリするメンツが勢揃いで、Kenny とは腹違いの兄弟なんじゃないかって思うくらい意気投合したよ。Kenny Dope や Louis Vega とは同世代だけど、彼らからもとっても影響を受けていて、彼らと一緒に仕事をするってことは、俺にとっては Michael Jackson や Stevie Wonder からオファーが来るのと同じくらい光栄な事なんだ。最終的にどんな風に仕上がったかは予想がつかないけど、色々なアーティストのテイストが加わった面白い作品になってる事は確かだね。

HRFQ : Cajual / Relief の両レーベルからリリースされたあなたのトラックは、シカゴ・ハウス界に多大な影響を与えたと言っても過言ではないと思います。 それについてはどう思われますか?

DJ Sneak:16歳で DJ を始めて、今年の11月で36歳になるから、もう20年近くDJ をしてる事になるな。「何か面白い事が出来ないかな」と思ってる時に Cajual レーベルの Cajmere (Green Velvet) に出逢ったんだ。彼は、その頃俺が働いてたレコードショップの常連でね。ある日彼に「俺も曲を作ってるんだけど、興味ある?」と声を掛けたら、彼のスタジオに音源をもって来るように言われたんだ。持って行った20本以上の DAT を聴きながら、「この曲がいいね。この曲もいいな」ってアドバイスをくれたよ。で、どう転ぶか分からないけど、とりあえず一緒にやってみようってことになったんだ。当時のシカゴには Cajual/Reliefレーベルしかなかったし、Paul Johnson や Glenn Underground 、Gene Farris 等、あのレーベルからレコードをリリースしたがってたプロデューサーは星の数ほどいたんだ。そんな中で成功するなんて夢にも思ってなかったよ。まず'83年から'89年に第一次シカゴ・ブームがやってきて、その後 Cajmere が登場した'94年まではそのブームは少し落ち着いていたんだ。最初彼は他人に曲を提供してたんだけど、ある程度資金が貯まったところで自分のレーベルを立ち上げることにしたんだ。彼は俺たちに本当に沢山のチャンスを与えてくれたよ。そして'95年に 'The Mutant Sounds of Relief Records’という Mix CD をリリースしたんだ。CD には Mixed by Cajmere & DJ Sneak って書いてあるけど、彼は一緒に曲を選んだだけで Mix をしたのは俺なんだよ。この CD のツアーで初めて日本に行ったんだ。

HRFQ : シカゴからトロントに活動拠点を移動されたのはなぜですか?

DJ Sneak : シカゴで知り合ったカナダ人の友達に誘われて、'93年に1週間位レコードバックを持ってトロントに遊びに行ったんだ。ちょうどトロントは冬だったけど、すぐに気に入っちゃったよ。トロントはシカゴの嫌な部分を取り除いたような街なんだ。ギャングや喧嘩はないし、とってもリラックスした良い所だよ。プエルトリコから移住して来て以来、ずっと居心地のいい場所を探していた俺にとって、シカゴは通過地点でしかなかったんだ。シカゴは大好きだし、DJ としてのキャリアを積んだのもあの街だったけど、どうしても他の場所に移りたかったんだ。シカゴ出身の Mark Farina がサンフランシスコに引っ越したのを知って「アイツがサンフランシスコに行くなら、俺は違う街で一旗あげてやろう」って思ったって訳さ。トロントでは毎日が新鮮だったな。当時は倉庫を使ったアンダーグラウンドなパーティーも沢山あったし、昔のシカゴを思い出したよ。そうやってトロントに何度かツアーで行ってるうちに向こうにガールフレンドが出来て、'97年にトロントに引っ越したんだ。

DJ Sneak Interview

HRFQ : 最近リリースになった 'Ministry Of Sound' のCDには、'90年代後半の Daft Punk のトラックや、Triple X の'Feel The Same(DJ Sneak Dub)' など古いナンバーが収録されていますよね。それに今夜は Madison Avenue の曲もプレイされてましたね。そういった古い曲をあえてプレイされてるんですか?

DJ Sneak : みんな古いナンバーを今でも聴きたいものなのさ。Daft Punk や Madison Avenue を世に送り出したのは俺だと思ってるんだ。みんな俺が Daft Punk などのレコードをプレイしてたのを今でも覚えてくれてるし、こうやって往年のハウス・チューンをプレイする事で当時の記憶が甦ってくるだろ。「ハウス・ミュージックはこんなに素晴らしいんだ!エレクトロなんて必要ないんだぜ」ってね。それに新しい世代のオーディエンスに、古き良き時代のハウスを教えてあげたいんだ。CDJ が主流になってきてから、家に眠ってる大量のレコードを CD に焼き直してるんだ。コンピューターを使えば古いレコードの音飛びも消せるし、音の大きさを調節したり、それに新しいエディットを作る事も出来るしね。CD に焼いてしまえば、ツアー中に大切なレコードを傷つける心配もなくなるし、貴重なクラッシック・チューンをいつでもプレイすることが出来るんだ。

俺にとってハウス・ミュージックは永遠だし、ハウスの良さを1人でも多くの人に知ってもらいたいんだ。20年近くハウスをプレイしてるけど、DJ を始めた頃の新鮮さをもう1度取り戻したいのさ。多くのDJは、つぎつぎと新しい曲をプレイしていくけど、俺はオーディエンスに昔のナンバーを紹介したいのさ。7年前、'Ministry Of Sound' のミックス CD 用にリミックスした 'Feel The Same' という曲を今回も使ったんだけど、レーベルの人間が「私たちでさえ、もうライセンスを持ってないナンバーだ!!」って驚いてたよ。Ministry のシリーズは新旧のトラックを混ぜてミックスできるし、いつも楽しくコンパイルしてるよ。「新らしけりゃ良いってもんじゃないんだぜ。ハウス・ミュージックは歴史ある音楽なんだ」って事を伝えたいだけなんだ。ミックスを手掛ける時はいつも新鮮だけど懐かしいものを作れるよう、心掛けてるよ。

HRFQ : '04、'05、そして'06年と立て続けにリリースをされていますが、どうすればそんなにたくさんのアルバムが作れるんですか?

DJ Sneak :根っからの仕事人間なんだろうな。家にスタジオがあるから、常にスタジオにこもりっきりさ。ワイフにはいつも 「仕事してない時でもアナタの頭の中は仕事で一杯なのね」って言われてるよ。だから彼女にはこう言ってやるんだ「俺は色んな物からインスパイアされてるんだ」ってね。何かいいアイディアが浮かんだらすぐにスタジオに行って、書き留めるようにしてるんだ。最新作 'Housekeepin' ではライブミュージシャンを起用して、今までとはちょっと違った作品にしてみたんだ。作曲はもちろん、歌詞を朗読したり、ラップにも挑戦してみたよ。仕上げるには結構時間がかかったな。やりたいことはまだまだあるし、アイディアが浮かんだらすぐにスタジオに飛び込むんだ。スタジオに行けない時は、ノートパソコンにアイディアを書き留めておくようにしてるし、休む暇なんてないよ。ツアー中は、今回の Todd や、ポルトガルの Mastik Soul 、パリに住む Phil Weeks と仕事をしてるし、ツアー先で出会った人たちやファンと一緒にスタジオに入って、セッションをすることもあるんだ。そうすることで新しいアイディアが生まれるんだ。現在2つのレーベルを経営していて、もうすぐ3つ目をスタートさせるんだけど、それでもリリースが追いつかない位さ。仕事とスタジオが俺のすべてさ。DJ をしてる時が1番楽しいけど、スタジオで音楽を作るのも大好きなんだ。

HRFQ : 音楽作りを始めたきっかけは何だったんですか?

DJ Sneak : DJ を続けていくうちに、気がついたら作り始めてたって感じかな。今やターンテーブルにレコードそれに CD さえあれば誰でも DJ になれるけど、俺たちの時代は DJ になるにはそれなりの努力をしたもんさ。ある意味オールドスクールな考え方かもしれないけどね。長い間 DJ をしていると、自分で曲を作りたくなってくるものさ。「この曲のビートとあの曲のベースラインを一緒にしたらもっとクールな曲になるな」といった具合にね。後は機材だったり、Cubase や Logic といったソフトの勉強して、曲作りを始めるだけさ。楽し過ぎて止められないよ。DJ の次はプロデュースだって最初から分かってたね。でも俺のゴールはこれで終わりじゃないんだ。

HRFQ : この次は何を始めるんですか?

DJ Sneak : 神のみぞ知るだね!

HRFQ : 現在レーベルを運営されてますよね?

DJ Sneak : レーベルもやってるけど、料理好きだからシェフになりたいんだ。母親からプエルトリコ料理を習ったことがきっかけさ。今はツアーで世界各国の料理を食べる機会があるから、気に入ったものがあれば家に帰って作ったりもするよ。40歳になったら料理人の資格を取りたいね。

HRFQ : では次の目標は Sneak レストランですか?

DJ Sneak : Sneak レストランをオープンするかもしれないし、全く他のことを始めるかもしれないしね。シカゴではグラフィティ・アーティストだったし、今でもたまにグラフィティを描いたりするんだ。去年オランダでグラフィティの作品を手掛けたんだけど、その絵はレーベルのアートワークに使ってるよ。今のところ興味があるのは、グラフィティだろ、ヒップホップ、ハウス、それに料理かな。この業界には世の中の波に流されてしまって、自分を見失ってしまう人が多いけど、信念を曲げずに自分自身でいることが大切だと思うんだ。例えば Red Bull みたいに商品化されてしまっている DJ も少なくないからね。Tiesto なんかがいい例さ。ただみんなそのうち Red Bull に飽きて、他の商品に走るんだろうよ。俺は流行には左右されないし、それどころか古いモノに惹かれるんだ。もし君がターンテーブルとレコードが好きなら、きっといい DJ になれるよ。何をするにしても、基盤がしっかりしてないと最終的には失敗するんだ。それを分かってない人が多すぎるね。俺の場合、基盤やルーツがガッチリしてるから、あとは突き進んでいくだけなのさ。

HRFQ : 最初からこんなに長くDJ を続けるつもりだったんですか?

DJ Sneak : いや、単に楽しいから今まで続いてるのさ。ベットルーム DJ や、トラック作りにばかり精をいれて実際にアクションを起こさない人も多いけど、俺は常に自分のやってることを信じて精一杯努力してきたから、今の地位を築くことが出来たんだと思うよ。そこから色々なチャンスがやってきて、今のように DJ 以外の仕事も手掛けるようになったのさ。ここまで成功するなんて想像もしてなかったな。お金儲けやスーパースターになりたくてDJをしてる訳じゃないんだ。DJ をするのが好きなのさ。有名なスーパースターになって、ドラック三昧の毎日を過ごし、そして綺麗なお姉ちゃんとリムジンを乗り回して豪華なホテルに泊まることばっかり考えてる奴らが多すぎるんだ。俺にはそんなことどうでもいい。野外フェスに出演する時はテントに寝袋でも平気だし、スーパースターになろうなんて思ったこともないよ。今でも DJ が出来てるってことだけで嬉しいのさ。「好きこそものの上手なれ」とはまさに俺のだろうね。

End of the interview

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