HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Danny Krivit Interview

NYハウス30年の歴史を作った男

NYでソウルフル・ハウスといえば今はなきあのパーティーBody & Soul。 その中心人物としてDanny Krivitの名前を知らないものはおそらくいないだろうが、 Dannyはクラブカルチャーと音楽そのものを今も開拓し続ける、シーンにとってなくてはならない存在でもある。

ホームタウンNYをベースに30年のDJキャリアを持つDannyはディスコとヒップホップのパイオニアでもあり、80年代初期には当時のヒップホップ・シーンにとって最も重要な位置にあったロキシーのダニーロックとして、Afrika BambaataaやGrandmaster Flash らと定期的にプレーし、スクラッチ・ミックスができる数少ない白人DJとして知られるようになっていった。

80年代後半になって商業化されていったヒップホップ・シーンにかわって、彼のフォーカスは一番好きだったハウスへと移行。それから15年経った今でもそのエネルギーをダンス・ミュージック注ぎ続けている。その意味で、Defected Records が今回リリースする時代を超えたダンス・ミュージックの最新コンピレーション“In The House"のコンパイラーとしてDannyを迎えたことはごく自然な流れと言えよう。

60,000枚あるレコード・コレクションのうち約10,000から15,000枚がハウス・トラックだというから、さぞかし選び放題だろうが、やはり全てが簡単に手に入ったものばかりではないという。

「最初の頃はちゃんと整理されていたんだけど、最近はよくわからないジャンルのレコードもいっぱいでね。ハウスはキチンとひとまとめにしてあって、クラシックも別に保管してあるんだけど、一番多いのがこのよくわからないやつの山。この辺のレコードは全てアパートに置いてあるんだけど、家なんだか保管用倉庫なんだかよく分からない状態になってるよ。 まぁ、実はこれ以外にも倉庫が3つあるんだけどね」

音楽に対するアプローチは、どちらかといえばシンプルなものだったという。

「始めたころは‘自分のお気に入りで、しかもこれをかければ絶対何人かは反応して、でもあまり知られていないようなトラックをかけよう' って感じだったかな。Defectedには僕がエディットしたトラックも入れてほしいって言われたんで、最近のお気に入りをピックして、あとは個人的に大好きなハウス・クラシックのトラックも入れたんだ。このあたりの音は探すのに本当に苦労したものもあって、Jean Leslie Homesの“I'm Your Superman" なんか多分200ドル(2万円)くらいで売られているんじゃないかな。今回のセレクションはそうだな、言ってみればもう一枚新しいCDを買おうと思う理由になるものを選んだ感じだよ」

Danny Lrivit Interview

ここから先は、対談方式のインタビューをお送りする。

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Skruff (Johnty Scrufff) : クラブ・カルチャーというものが始まった当時からシーンに関わっているわけですが、今のハウス・カルチャーについてどう思いますか?

Danny Krivit : 正直一番良い時期とは言えないよね。ハウスは音楽業界の中でも低いレベルの扱いしか受けていないし、その音楽業界自体がうまく行ってないから、よけいに難しいことになってるんじゃないかな。 山ほどあるレコードの中から探すDJも大変だし、あと、CDかレコードかっていうのも今は問題になってるよね。それに、ダウンロードしたり、人からもらったりしている人も多いから、商売としてはとても不健康な状態だと思うよ。いろんなことが重なって、それがこの難しい状況を引き起こしてるっていうのかな。 レコード会社もディストリビューターも小売店も、みんな常に崖っぷちなのがよくわかるよ。

Skrufff: 以前お話した時に、大抵はマンハッタンのダウンタウンで仕事してることが多いけど、「もうすぐ日本に3回目のボディー&ソウルのイベントをやりに行く」という話をされてたんですが、今でももっとグローバルな活動をしたいと思っていますか、それとも何か違うことにフォーカスを置いているんでしょうか?

Danny : それを話した時は、「多分40年の間に10ブロック先に引っ越したくらいしか動いてない」ってことが言いたかったんだと思うんだよね。あの辺りは居心地が良くてあまり出たいと思わないし…。 ただツアーに関して言えば、本当に色んなところに行ったし、行った先々でプレイするのはいつも最高だよ。特にオープンで良い感じのオーディエンスなら尚更さ。 ただツアー自体ははっきり言ってあまり好きじゃないけどね。今は昔よりツアーに出てることが多くて、居心地のいい場所っていうのも見つけたけど、それでもやっぱり自宅が一番かな。

Skrufff: その居心地が良い場所っていうのはどこですか?

Danny : ん〜、日本がやっぱりお気に入りの場所ではあるけど、イギリスも良いと思ったね。 あとは、アムステルダムとかフランスとかかな。

Skrufff: ベルリンは?

Danny : 悪くはなかったよ。 ただ、「これからも定期的に来たいなぁ」と思えるような場所はなかったかな。

Skrufff : Junior Vasquez がNYのクラブシーンは終わった、もう絶対前みたに戻ることはないって言ってましたが…

Danny : 彼にとってはかなり真に迫るものがあることは確かだな。常に自分と戦ってきて、ずっとトップに君臨してきた彼にとって、今は良い時期ではないことは間違いないし。でもNY自体に関してはどうかな。「絶対昔みたいになることはない」って言い切るのはどうかと思うけどね。NYが終わってるっていうのは、多分一時的なものだと思うし、いつかは今より絶対良くなるんじゃないかな。トレンドってそんなものでしょ。例えばBody&Soulがオルタナな場所から突然出てきたみたいに、ナイスなパーティーとかクラブが一つあれば、それで解決することだと思うよ。良いクラブが一つできればそこからいろいろ生まれてくるんじゃないかな。

Skrufff : 最近NYでプレイすることは?

Danny : 定期的にプレイしてるよ。 3〜4週に一回718セッションってパーティーをやってるし、あと他に2箇所、ゲストでプレイしてるところもあるね。

Skrufff : NYでBody&Soulの再開を考えたりしますか?

DANNY : 実は、今年はもっとBody & Soul的なことをやろうと思っていて、NYでも何かしらやって、あとモントリオールや日本、それにイギリスでも何かしたいと思ってるんだ。ここまで来るのに長く待たされたけど、あとは適当な場所さえ見つかればって感じかな。

Skrufff : バイオで読んだんですが、80年代初めにはGrandmaster FlashやAfrika BambaataとNYのロキシーでプレーしていたんですよね? サウス・ブロンクスのブロック・パーティーにもよく出かけていましたか?

Danny : サウス・ブロンクスには行かなかったかな。ローワー・イーストサイドのブロック・パーティーには行ってたけどね。80年代から90年代初めにはヒップホップ・オンリーでプレーしてたこともあって、ロキシーではダニー・ロックってあだ名まで付いたくらいだったよ。

Skrufff : ヒップホップからは意識的に離れたんですか?

Danny : 90年代半ばにサウンド・ファクトリー・バーをやってた頃、一つの部屋ではハウス、別の部屋でヒップホップって感じでプレーしていたことがあったんだけど、そういった感じで幅広いプレイをするのがすごく好きだったんだ。でも、だんだんオーディエンスがラジオの影響を受けすぎたせいか、パーティー自体が変わっていって、ヒップホップを中心とした選曲にも限界を感じるようになったんだよね。 もちろん、昔もラジオでヒットした曲をプレイすると盛り上がってはいたんだけど、当時はDJがプレイする新しいものにもみんな興味を持っていた。でも、それも変わってしまって、みんなヒット曲にしか反応しなくなって…。だから、これじゃだめだなと思い始めたんだ。

Skrufff : スタジオ54にはよく行ったんですか?

Danny : 行ったけど居心地は良くなかったな。僕はダウンタウンの人間だから、服装もカジュアルなほうだし、自分らしくしていられる場所じゃないと居心地が悪くなっちゃうんだ。スタジオ54は、ショーと言うよりサーカスみたいなもので、いつも入れてもらってはいたけど、ものすごい数の人の海から選ばれるのを待ってるみたいな感じで全く良い気分ではなかったね。 とにかく、みんな写真をとられるのを待ってるっていう感じで、僕にとっては楽しい場所ではなかったかな。

Skrufff: 最近Derrick Mayの"Strings of Life"のエディットをしましたよね? 以前彼にインタビューしたとき自分の曲を誰かにカヴァーされるのはオリジナルが壊されるみたいでいやだと言ってたんですが、どのようなアプローチで制作をされたんですか?

Danny : まず、リミックスの仕事だったので、原曲を変えていくってこと以外は何もできなかったよね。まぁ、オリジナル・トラックはずっと好きな曲だったし、リスペクトもしてきたんだけど、今っぽい感じでプレイするのにはちょっと難しいなと思っていたんだ。ちょっと時代遅れな感じもしたしね。まぁ、確かにこのリメイクは芸術的な傑作にはならなかったかもしれない。でも、コマーシャルなポップ・ソングという点ではバッチリだと思ったし、実際にすぐにみんなの間でヒットにもなったでしょ。そんな感じさ。

実は、このリメイク、Derrickが初めて開催したデトロイト・ミュージック・フェスティバルでもプレイしたんだ。彼はとてもフレンドリーで親切だったよ。でも、今でも覚えているんだけど、僕が"Strings Of Life"を自分のセットの最後のほうでかけた時、何となくそうしちゃいけないような雰囲気があって…。というのも、やっぱりあのフェスティバルは、新しくてアンダーグラウンドなものにフォーカスしようよって感じのものだったからね。でも、どういうわけか、あの曲でみんなメチャメチャに盛り上がってしまって、そのおかげで、あの日はたくさんの人が僕に注目することになったんだ。まぁ、多分Derrickにしてみれば、最初は「なんでオリジナルじゃなくて、エディットでこんなに盛り上がってんだよ」みたいなところがあったかもしれないけど、あのリミックス以来、オリジナルにも彼のことにもより多くの人が注目するようになったはずでしょ。 しかも、著作権の収入でお金も入ってきたはずだし。だから、前ほど皮肉っぽくは思ってないと思うよ。Derrickはクールだし、仲はいいからね。

End of the interview

> Interview : Jonty Skrufff (Skrufff.com) / Translation : Eri Nishikami

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