HigterFrequency COLUM

ENGLISH COLUMN

Dr.Shingo's Electronic X

Dr.Shingo's Electronic X


Text & Interview : Dr. Shingo

みなさんこんにちは、ドクターシンゴです。
余り晴れた日を体験することなくじめじめした梅雨に突入していますがみなさんいかがお過ごしですか?前回の僕のコラムでアナウンスしたとおり僕のレーベル「HIGHLAND」がスタートしました!このコラムがアップされる頃には第一弾リリースが hrfq.com 上でお目見えしている筈です。記念すべき第一弾リリースは僕Dr.ShingoとE.Sawadoによるユニット「Ton Technik」によるトラックです。自分のソロ作品よりもよりピュアなエレクトロニック・サウンドを追求するプロジェクトです。皆さん是非チェックして下さい。そして全国のトラックメイカーの皆さん、デモ作品の方も随時募集中です!我こそはと息巻く兵の皆さん、その渾身のトラックで我々 HIGHLAND スタッフの度肝を抜いてください!!

デモ曲送付先

〒153-0043 東京都目黒区東山 3-7-3 VIEW 東山 301
hrfq.com 内 Dr.Shingo "HIGHLAND" デモ音源係

さて今月はアーティストのインタビューをお届けします。今回のゲストはドイツ・ベルリンに拠点を置くDJ/プロデューサー、Dave DK の登場です。旧東ドイツで少年時代を過ごし、90年代後期にデビューシングルを出して以来今日までクオリティの高いテック・ハウスを沢山リリースしてきた Dave ですが、彼を語る上で最も重要ななプロフィールといえばあの名門と歌われた今は無き伝説のクラブ「Tresor」にて6年に渡る長期間レジデントDJを務めた事でしょう。当時数あるドイツのクラブの中でも知名度は抜群であり、ベルリンのテクノシーンに非常に影響力があったクラブである事は誰もが認める所です。そんな名門クラブのレジデントDJの座を射止めるまでのエピソード、ベルリンのシーンを良く知る彼だからこそ語れる過去、現在のベルリンのシーンについて…。などなど今回も読み応え抜群です。最後までお楽しみ下さい。さらに Dave の最新DJミックスが聞けるウェブのリンクがあります。インタビューの最後のリンクをクリック!この機会に本場ベルリンのシーンで認められたグルーヴィーなDJミックスも一緒にお楽しみ下さい。それではどうぞ!!

triangle

Frank Lorber Interview

Dr. Shingo : こんにちはデイブ、ようこそドクターの部屋へ!(笑)さあ今日も今までお招きしたアーティスト同様根堀葉堀聞いていきますよ。

Dave : こちらこそ宜しく。今日は色々と話が出来ると思うとわくわくするよ。

Dr. Shingo : まずはどんな子供時代を過ごされたのか聞いてみたいと思いますが…東ドイツの出身だそうですね?東ドイツのどの辺りの出身ですか?

Dave : Lychen という小さな東ドイツの町で生まれたんだ。ベルリンからは100km位北へ行ったところだね。まあ田舎町だよ。でも母親はポーランドの出身なんだ。

Dr. Shingo : 我々日本人も東西ドイツ統合についての歴史は学校で勉強したりしましたが、やはり実際の生活や環境を想像するまでには至りません。僕自身、統合前の東ドイツの人々の暮らしぶりがまったく想像付かないのですが…音楽なんかはどうやって聞いたりしていたのですか?ラジオとか雑誌とか?

Dave : ベルリンの壁が取り払われて東西ドイツが統合されたのは自分が12歳の時だった。その頃は音楽シーンに携わるような事なんか全然していなかったよ。12歳だしね(笑)。生活の事を言うと、もちろん東ドイツ時代には今みたいに簡単に物を手に入れることは出来なかったよ。だけど何にも無い…と嘆くほどの事ではなかったなぁ。本当に素晴らしい両親の元で育ったから不自由は感じなかったよ。後、親戚や家族の一部が西ドイツで暮らしていたお陰で東では買えなかった物や雑誌、おもちゃなんかを彼らから送ってもらっていたりしたんだ。いくら国境があっても壁一枚隔てているだけだからテレビの電波だって飛んでくるしね。西側のテレビも見ていたよ。ただ国としては社会主義国家だったし そういう国家の体制に従順に従っている人たちも大勢いた。そういう人たちは西側の文化に触れるような事はしなかった。子供の頃好きだったおもちゃはレゴでね、暇さえあればそれで色々作って遊んでいたよ。14歳になった頃からダンスミュージックを聴きだしたね。その頃住んでいた町にディスコがあって毎週金曜日はそこで飲んで踊る健全な生活をしていたんだ(笑)。で、16歳の頃からベルリンにある Tresor club に通うようになった。特に水曜日の "Bonito House Club" というパーティーによく行っていたよ。なんてったって平日だったからね…水曜の夜に車でベルリンに行って次の日の朝5時に地元に戻って学校に行くなんてバカみたいな事してたよ。もちろんその頃は5年後にはTresorのレジデントDJになるなんて想像もしていなかったけどね(笑)。

Dr. Shingo : 僕が想像していた程不自由な生活じゃなかったみたいですね…。子供時代はどんな音楽に夢中でしたか?好きな歌手とかいましたか?

Dave : 子供の頃はマイケル・ジャクソンの大ファンだったよ。あとマドンナとか "Frankie goes to Hollywood"、"Talk Talk"、Paul Hardcastle … 懐かしいね。80年代の音楽が好きだったなぁ。だって僕らの子供時代は80'sだろ?

Frank Lorber Interview

Dr. Shingo : なるほどね。今現在は音楽も作ってる訳だけど楽器の演奏なんかはした事がありますか?音楽教育を受けたりしたことは?

Dave : 実は子供の頃フルートを習っていたんだよ(笑)。だけど音楽を聴くときにはいつもリズムとかグルーブを聞いてしまうんだよね。子供ながらにかっこいいコード進行とかハーモニーに注意が行ってしまうというか…。子供の頃から音楽に興味があった事は確かだよ。

Dr. Shingo : へー、僕は子供の頃トランペットやトロンボーンを吹いていましたよ(笑)。さて14歳の頃からダンスミュージックを聴き始めたそうですが テクノやエレクトロニックサウンドもその頃から聞いていましたか?

Dave : テクノなんかを聞き始めたのは正確に言うと90年代からだったかな…まだカセットテープを買っていた頃だよ。ドイツで有名な屋内レイブ "MAYDAY" のコンピレーションアルバムや "Thunderdome series" みたいなハードコアを聞いていたね。まっとうなテクノアーティストと言えば Joey Beltram,、CJ Bolland、Aphex Twin,、Altern 8、 the Shamen それから the KLF や the Prodigy …あと Technotronic は重要だね。きっと多くの影響を受けていると思う。 94、95年当たり、大きなレイブが盛んになってきた頃 Marusha、Westbam、Steve Mason みたいなアーティストが台頭してきてフロアトラックがすごくヒットしたりしたんだ。当時土曜日に Marusha がやっていたラジオ番組 "Rave Satellite" が好きで良く聞いていた。テープに全部録音してあるよ(笑)。しばらくして Ellen (Allien)が "Braincandy" という新しいラジオ番組を始めてもっとアングラな曲を紹介するようになったんだ。そこら辺からはテクノ/エレクトロニックサウンドにどっぷり浸かる様になってきたね。

Dr. Shingo : DJを始めたのもその頃ですか?

Dave : その頃まだ17歳ぐらいだったから…イベントやパーティーを自分でやるのはちょっと難しかったな。ただアイデアはあったんだよ。地元の廃工場なんかを使ってやってみたら…なんてね。父親にも色々と手伝ってもらったりしたんだけど結局それは実現しなかった。でもベルリンに遊びに行く度にレコード屋に寄っては財布の中身がカラになるまでレコードを買ったよ。もちろん買えてせいぜい3,4枚程度だったけど。そうこうしている内にレコードコレクションも大分増えてようやくDJを人前でするようになってね。地元のそばにあった大きめの町でアングラなパーティーをやったりしてみんなの中で少しずつ名前を覚えられる様になってきたんだ。まあ役所に届出をしないから警察ともめたりして場所を何回も変えなきゃいけなかったけど…。

Dr. Shingo : なるほど。DJを始めた頃にかけていたレコードとかって覚えていますか?どんなプレイをしていましたか?

Dave : Dancemania みたいなハウストラックをかけていたよ。後 Woody McBride、Miss Djax、Westbam …まあ手に入ったレコードは何でもみたいな感じだったね。まあ最初は誰でも同じだと思うけどプレイする前は緊張してガチガチになったりして(笑)。下手くそなくせに最初から憧れのDJみたいにうまくミックスしてやろう、なんて肩肘張っていたな。中でも Tresor のDJブースに立ち始めた頃は特に緊張していたよ。回数をこなせば慣れていくものだけどね。

Frank Lorber Interview

Dr. Shingo : どんな有名なDJにだってある経験だと思いますよ。

Dave : むしろ緊張感を持たずにDJブースに立つのはプロフェッショナルとしてよくない事だと思う。

Dr. Shingo : 同感ですね。さてデイブの「プロデューサー」としての側面を伺いたいのですが…。トラックを作り始めたのは何時ごろですか?初めて曲を作ったときにはどんな機材を使っていましたか?

Dave : 曲を作り始めたのは…初めてレコードを買ったときと同じくらいだから1995年頃かな?今現在はプロのオルガンプレイイヤーとして活躍している親友がいるんだけど、その彼がアミガ500という古いコンピューターを使って曲を作る方法を教えてくれたんだ。ソフトウェアは「Music X」という名前でカシオのキーボードと組み合わせて使うものだった。それからお互い貯金したりして機材をふやしていったんだ。初めて買ったシンセサイザーは Quasimidi の Technox、サンプラーは Yamaha の TX 16 W。それからしばらくしてコンピューターも Atari に変えてソフトも Cubase になった。とにかく機材の使い方を覚えるのに一苦労でね…だけど自分達が思い描くサウンドを自由自在に作れるようになるのは本当に面白かった。そんな道のりがあって今現在に至るわけさ。最初に色々と教えてくれた友達は音楽の勉強を本格的にするようになって一緒に曲を作ることはもう無いけどね。今は全部自分一人でプロダクションを行っているよ。

Dr. Shingo : アミガ、アタリと古いところ通っていますね。95年辺りから曲を作り出してデビューシングルをリリースしたのが98年ですよね?

Dave : そう、Frank Mueller が主催する Mueller Records からだよ。

Dr. Shingo : Frank Mueller との出会いはどんな経緯からですか?彼に会ってみてどんな印象を受けましたか?

Dave : 曲を作り始めて3年、自分の曲はもうそろそろ何処かからリリース出来てもいい位のクオリティになったのでは?と思うようになったんだ。今聞いてみると恥ずかしいけど(笑)。そこで自分が持っているレコードを見てどのレーベルに送ろうか考えたんだ。その時に選んだレーベルの一つが Mueller Records だったんだよ。早速住所を調べてみるとベルリンにオフィスがあって、(当時は)Westbam が主催する Low Spirit/Mayday のグループだという事が分かったんだ。ここだ!って思ったね。早速フランクにアポをとって自分のトラックを聞いてもらったんだ。その日の感動は忘れられないよ…オフィスに入ったら Westbam や Marusha がいて大きなMAYDAY のフラッグがドーンと貼ってあるんだよ!フランクは親切で面白い奴だったね。しかも僕の曲を気に入ってくれてすぐリリースしてくれた。本当この世の楽園にいるみたいな気分だったよ。

Dr. Shingo : 初めて自分の曲がリリースされた時の思い出は一生忘れることは無いですよね。そんなデビューの後 Tresor でのレジデントDJに抜擢される訳ですが…。Tresor と言えば世界的にも非常に注目度が高いクラブでした。ベルリンのテクノの歴史を語る上では外す事の出来ない重要なクラブです。そんなクラブでレジデントDJを勝ち取った経緯を教えてもらえますか?

Dave : これはとても面白い話でね…。僕も一ファンとして Tresor にはよく通っていたし Globus (Tresorの中にあるハウスフロア) は特にお気に入りだった事は話したよね。水曜日に "Bonito House Club" というパーティーが行われていて階下では "new faces" という企画で新人DJやプロ志望のDJ達がプレイしていたんだよ。Tresor が新人発掘目的でやっていたんだけど、DJはギャラの代わりにドリンクチケットを貰っていたんだ(笑)。僕もチャンレンジしようと思ってプレイしたんだけど何せ Tresor フロアだから (※このシステムは後で説明に出てきます。) みんなDJがハードだったんだよね。そこで自分がハウスかけて浮いちゃうから当然お声は掛からなかった。で、98年Muellerからトラックをリリースした後、Tresor のスタッフと話をする機会があって Globus にブッキングしてもらったんだ。何回かブッキングしてもらった後ついにレジデントDJの座を射止めたという訳さ。"new faces" で逃した念願のチャンスを別の形で物にする事が出来たんだ。すごく嬉しかったね。

Frank Lorber Interview

Dr. Shingo : それは面白い話ですね。Tresor はまあ言うなれば2つのクラブが一つになっている感じでしたね。一階は Globus という名前でハウス主体のフロア、その地下に Tresor、ハードテクノ主体のフロアがありました。とにかく音がデカイクラブでしたね。僕も2回ライブ出演しましたが初めて行った時には驚きました。真っ暗だし日本のクラブでは体験することのない音の大きさでした。このスペースにこんな音量いらないだろって位(笑)。

Dave : 本当に音のデカイクラブだった(笑)。しかもサウンドシステムも素晴らしかったしね。

Dr. Shingo : Tresor では約6年位レジデントDJを務め上げましたね。その間の何か面白いエピソードがありましたら紹介してもらえますか?

Dave : Tresor はドイツの中でもいち早くアメリカのプロデューサーを招待したりと新しい試みに積極的に取り組んでいたクラブだった。Joey Beltram, Juan Atkins, Kenny Larkin や Blake Baxter といったアーティストがドイツで始めてプレイしたのも Tresor の企画による物だったしね。訪れるたびにいつもフレッシュなサウンドが聞くことの出来るクラブだったんだよ。ラブ・パレードが開催される時には Tresor Park で Sven Vaeth が10時間プレイしたりとか…それはエキサイティングな物だった。世界中からファンが集まって連日大賑わいだった。今 Tresor にあったサウンドシステムは Potsdamer Platz に移転しているよ。

Dr. Shingo : デイブは10年以上ベルリンのシーンを見てきたと思いますが最近のベルリンのシーンはどうでしょう?先ほど話しに上がった Tresor も残念ながらクローズしてしまいシーンのトレンドも随分変わってきましたね。今現在で言うとハウス・クリックサウンドが明らかにシーンの主流になっていると思います。こんなにハウス・クリックサウンドが流行る前からテックハウスやクリックをプレイしてきたデイブにとって、今のベルリンのシーンの動きは歓迎するものになっていますか?今後のベルリンのテクノシーンの動向についても意見を聞かせて下さい。

Dave : ベルリンのシーンはローカルなアーティストだけでなく、海外から訪れる色々なアーティストによっても形成されてきたと言えるね。ベルリンはドイツの首都であり、他の国の大都市にも言える事だけど沢山の外国人が住み多種多様な文化が持ち込まれている。そのせいか他のドイツの都市とは大分雰囲気が違うと思う。だからここで音楽ビジネスをしようとしている多くのアーティストは、実はその活動ベースがベルリン以外にあったりするケースが多い。良い面と言えばそういったアーティストから多くのアイデアをシェア出来る事だと思う。だけど同時に様々な種類の人が集まってみんな「ビジネスで成功したい」って思うから自然にシェアの獲得の中で小さないがみ合いが起きたり、クラブ同士でいつもコンペティションが絶えない。パーティー同士だってそういう事があるしね。これは仕方が無いことだ。東京だって同じだろ?

Dr. Shingo : 和を重んじる国なので余り目立つような事はしませんが(笑)。シーンの活性化という面では嬉しい事だけど…。

Dave : うん。ただこういう事は折角同じエレクトロニック・ミュージックシーンで働いている物同士なのにも関わらず良い関係が築けない、なんて事につながってしまう。みんながみんな成功出来ないって事だよね。ベルリンの中では誰かが成功し去っていく…こんな事が繰り返し行われていて、そういった出来事がシーンを作っていっているんだよ。ちょっと話がそれたけど、ここ2年位の事を話せば断然ミニマルな物がベルリンを支配している。それはここ最近のレコードのリリースを見てもらえば分かって貰えると思うし、今年はもう少しディープでハウシーなサウンドかトランシーなトラックがキていると思うよ。もちろんモダンなスタイルにリフォームされた物だけどね。だから僕は本当に今の流れを歓迎している(笑)。Tresor が無くなってしまって一時期ベルリンのシーンの行く末を心配する人たちも居たけど、実際新しいクラブもちらほら出来ているし色々な可能性がまた見えているよ。古いハードテクノみたいなサウンドに縛られているクラブなんかはクローズしてしまったりね…。とにかくベルリンのシーンは今変革期なんだ。そしてそういう明るい未来の可能性はアーティストにとっても大きなチャンスになると思うしね。

Dr. Shingo : ここ東京でもそういった新しいサウンドに理解を示してくれる人が確実に多くなってきています。まだ東京以外の場所ではこれからという感じですが…。さてデイブのDJのシステムや今これも変革の時を迎えているデジタルDJ機器なんかについてお聞きしたいのですが、デイブのDJセットはアナログ主体ですよね?今も変わりはありませんか?

Dave : そうだね。僕はアナログレコードの大ファンだからね。今の自分にとってこれ以上ベストなサウンドは無いよ。

Dr. Shingo : 最近はレーベル各社mp3による楽曲販売が盛んになりつつあり注目を集めています。どうでしょう、この先ファイナルスクラッチ等のデジタルDJ機器に移行する可能性はありますか?それらのテクノロジーにどんな意見をお持ちですか?

Dave : うーん、一時期 "Final Scratch" や "Scratch live" を試してみようと思った事があるんだ。それらのツールはDJにとっては革新的なツールだと思うしアナログターンテーブルの操作感をそのまま受け継いだデジタルDJ機材だと思うしね。ただ毎週山の様に買っているレコードをファイナル・スクラッチの為にパソコンに録音して…みたいな作業をするのかと思うとね。もしファイナル・スクラッチみたいなソフトを使うのであれば最初からインターネットで曲を買わないとね。じゃないと手間が掛かるし余り意味のある事に思えない。ただ僕個人の意見として mp3 ファイルの音のクオリティが十分でない気がしてしまうんだ。しかし、僕よりも年下のDJ達や音楽ファンはもっともっとインターネットから曲を購入していると思うし、クラブに居る殆どの人はレコードと mp3 の音質の違いなんて気づかないだろう。ダウンロードするとすれば AIFF (※マッキントッシュの標準的なオーディオファイルの形式。CDと同じサウンドクオリティ) や WAVE (※同様にウインドウズの音楽ファイルの形式) なら問題ないけど…システム的に難しいからね。

(なぜ難しいかと言うと、AIFF・WAVE といった音楽ファイルの形式は、皆さんがよく手にする音楽CDとサウンドクオリティが同等の為ファイルのサイズが非常に大きく、 一般的なインターネット回線の通信速度でダウンロードするに向きません。そしてよく皆さんが使用する mp3 というファイルは AIFF・WAVE 等のハイクオリティな 音楽ファイルを特別な方法で圧縮したものを指します。こうする事でファイルのサイズが小さくなりダウンロードが簡単に行えるのです。もう一つ豆知識。 よくアーティストのインタビューに「mp3 は音のクオリティが良くない」という発言を多く見ますが、これにも色々あります。mp3 ファイルを作る際、ファイルの圧縮にはいくつかの"段階"の様な物があります。ファイルをより小さく圧縮しようとすれば音のクオリティが下がり、下げすぎると AM ラジオを通して聞いているようなこもった音になってしまいます。逆に余り圧縮せずにCDで聞く音と視聴上殆ど区別が付かないくらい高品質な mp3 ファイルを作る事も可能です。hrfq.com 等で用意されている mp3 ファイルには非常に高音質な物と、手軽にダウンロード出来るサイズの2種類が用意されている場合が多いので、皆さんのニーズに合わせてダウンロードしてみてください。DJで使いたい人は最高クオリティの物を。ipod だったらサイズが小さいファイルでも何の問題もありません。更に詳しい事はインターネットで検索してみて下さいね!)

アナログを買うって行為は、実際レコード屋に行って店員友達やDJ友達と会ったりして情報交換したり、その週に発売された "bombs" についてあれこれ喋ったり(笑)。コミュニケーションも含めてまだ価値がある行為だと思うんだ。ただしその技術を否定する事は無いよ。世界中から需要があるからこそレーベルが mp3 の販売を始めたわけだし。シンプルにレコード、CD,音楽ファイルのマーケットを平行して扱ってベストなビジネスを行うのが一番だと思うよ。

Dr. Shingo : 分かりました。Dave はもうDJを始めて何年も経っているので色々な国を訪れた事でしょう。日本にも毎年という位来ていますね。ageHa の様なビッグクラブに出演した事もあれば東京以外の都市の小さなクラブでプレイした事もありますよね。そういった意味で日本のローカルなシーンにも多く触れていると思いますが、ドイツのシーンと日本のシーンの違いについて思うことがあったら教えてもらえますか?デイブには日本人DJの友達も沢山居て特に大阪で活動しているローカルDJをドイツに招待したりもしていますね。日本人DJについてどう思いますか?

Dave : 2002年、初めて来日したんだけど…初めてシンゴと一緒にプレイした時だよね。それ以来日本の文化に大変興味を持っているし日本色々な場所に友達が出来たよ。近代的な日本の都市にはいつも驚かされる。素晴らしい食文化やそれらの土台となっている古い伝統や文化も凄いね。だけど東京のラッシュタイムなんかに出会うとちょっと疲れてしまう時もある。あれだけ正確で素晴らしいシステムの交通網がある事に驚かされるね。ドイツではちょっと考えられないな…。ドイツにはもっと生活の為のスペースがあると思う。テクノシーンについてだと、日本人もドイツ人と同じくらいテクノをエンジョイしていると思うよ。むしろベルリンやロンドンのダンスフロアと比較しても変わらないどころか、それ以上にみんな生き生きと踊っている気がする。面白いと思う点はみんなDJの方を向いて踊っている事かな。後パーティーが凄く早い時間に終わってしまう。ドイツと比較してだけどね。日本人DJについてはとても良いと思うよ。さっき話しにあった大阪のローカルDJ、ZENTA を始めその他の都市のローカルシーンにも良いDJが沢山居ると思う。多くの場合ドイツのサウンドから影響を受けているよね。それからみんなレコードの事になると目の色が変わるよ(笑)。知識も豊富だしクレイジーだね!

Dr. Shingo : ははは。彼らは大阪のミニマル/ハウスシーンで一役買っていますよね。ではデイブの最近のトラックのリリース状況を教えてくれますか?

Dave : 今年4月に "Hypnotize" という12インチを Television Records からリリースしたばかりだよ。Moodmusic からも近々リリースがあるね。後リミックスを幾つかしてそれが今月から8月くらいにかけてリリースされるんじゃないかな。Moodmusic Limited のアーティスト Adaptor、Fanclub on Criminal Records からもリリースされるし日本の Deka Traxxx のアーティスト Manukan のリミックスとかね。9月には Bpitch Control のアーティスト Smash TV とのプロジェクトによるリリースがあるよ。Playhouse からのリリースになるからみんなチェックして欲しいな。

Dr. Shingo : さてインタビューも終盤に近づいて来ましたが…今テクノのカテゴリーでは"新しい音"を作る事がだんだん難しくなってきたと言われています。多くのプロデューサーがそれまでのシンセイサイザーが主体のテクノから色々なジャンルとの融合を図ったサウンドをプロデュースする様になって来ましたね。テクノとプログレッシブ・ハウス、テクノとロックみたいな感じに…。デイブは今後自分のサウンドをどんな方向に進化させたいですか?

Dave : そうやって色々なスタイルとエレクトロニック・ミュージックを融合させる事はより音楽がエキサイティングになるだろうね。もし何も新しいアイデアが思いつかなかったとしても新しい技術を使うことによって面白いことが出来るかもしれない。世界中のアーティストが日夜研究を重ねているんだから別に悲観することは無いと思うよ。僕のサウンドを説明するとすれば、エレクトロニック・ハウスといった所かな?プロダクションではいつも何かファンキーなスパイスを加えてセクシーなサウンドにしたいと思っているんだ。フロアで踊っている女の子達の為にもね(笑)。曲のテンポは125 位がベストかな。いつもかっこいいコード進行やメロディに惹かれて来たから、そういう要素を使って曲を作りたいと思っているんだ。

Dr. Shingo : 長いことインタビューに付き合ってくれてありがとう!!もし日本のファンにメッセージがあったらお願いします。

Dave : 長年僕をサポートしてくれてありがとう!来日の度にとてもハッピーになれるし滞在を楽しんでいるよ。又何処かでみんなに会える事を楽しみしているからね…rave on !

Dave DK による最新 DJ Mix が moodmusicrecords のサイト内で聞く事が出来ます!!

End of the interview

Dr.SHINGO プロフィール

長野県出身。幼少から様々な楽器を演奏し、米国・バークリー音楽院への留学を経て2001年よりデモテープの配布を開始、最終的に故 christian morgenstern のレーベ ル Forte Records よりアルバムリリースのオファーを受ける。2002年デビューシングル「Have you ever seen the blue comet?」でワールドデビューを皮切りにアルバム「Dr Shingo's Space Odd-yssey」をリリースし、一躍その名を世界に轟かす。Sven Vath、石野卓球、等のトップアーティストからも絶大な評価を得、世界各国からリミックスの依頼が舞い込むようになる。 2004年5月にはセカンド・アルバム「ECLIPSE」をドイツの TELEVISION RECORDS よりリ リース (日本盤は先行で3月にMUSIC MINE よりリリース)。約2年間の活動の中で20枚ものシングル、アルバム、リミックスワーク、そしてコンピレーションCDへの楽曲提供を果たし、名実共に日本を代表するエレクトリックミュージック・プロデューサーへ と成長した。幅広い音楽の知識を持ち、それを余す所無く自身のプロダクションに応用する事により、実験的であり、斬新なトラックを発表、常に現在のテクノシーンを前進させようとする姿勢を崩すことは無い。特に類を見ない抜群のメロディセンスが彼のプロダクションに更なる“ポップ”なエッセンスを加えている事により、孤高のエレクトリックミュージックを発信し続けている。


バックナンバー


関連リンク