HigterFrequency パーティーレポート

Exit Festival 2004

CHILE REPORT : PUNTA ARENAS

TEXT : Ryo Tsutsui (EDEN / Weekend Warriorz)

東京を拠点として活躍し、今回、日本とチリのアーティストの交流プロジェクト "Patagonica" 日本代表としてチリツアーを敢行したDJ・Ryo Tsutsui。滞在中にチリ大地震が発生するというアクシデントに見舞われながらも、現地のアーティストやクラブシーンとの交流、そして帰国後、東京の Combine Daikanyama にて先週末行われたチャリティーパーティー "Chile Style" 開催の模様までをお伝えする。






EXIT FESTIVAL 09

南米チリとアルゼンチンにまたがるパタゴニアの自然を電力会社のダム建設などから守り、世界遺産にしようという運動の啓蒙と、日本とチリのダンスミュージックアーティストの交流を目的としたプロジェクト"Patagonica", 僕はこのプロジェクトの2010年度の日本代表として、かの地での2週間に及ぶDJツアーを行う事になった。

チリ南端の町プンタアレナスからスタートし、中部のビーチリゾート、ビニャデルマール、世界遺産バルパライソ、首都サンチアゴ、野外フェス Monte Mapu、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスをまわる2週間のツアー。
南米どころかアメリカ大陸すら未体験だった僕は、ラテンアメリカという未知の文化圏とそこで出会うであろう人々への期待に胸を膨らませながら成田を飛び立った。

僕の人生の中でも最長となる計36時間の長旅を経て、たどりついたチリ南端の町プンタアレナス。 空港から町に向かう景色、かなたにアンデス山脈を望む大草原と色とりどりの小さな民家がぽつりぽつりと建つ景色が、南極にもっとも近い場所のひとつに自分が降り立ったんだなぁという感慨を感じさせてくれる。 町は小規模な地方都市という感じ。 かわいらしい民家のような宿に荷物を下ろし、サンチアゴの空港で合流したこの企画の去年のチリ代表 Francisco Allendes とともに新聞社の取材をいくつか受ける。

FUJI ROCK FESTIVAL 09 FUJI ROCK FESTIVAL 09

Francisco Allendes は、チリが生んだ世界的なスター Luciano が主宰するレーベル、Cadenza の期待のホープで、彼が生み出す音楽はここ数年で世界中のダンスミュージックファンからの注目を集めるようになっており、すでに南米のみならずヨーロッパなどでもツアーを重ねるインターナショナルアーティストだ。昨年の10月の来日で彼のプレイを体験し、ファンとなった人も多いのではないだろうか。その音楽的なセンスや楽曲のクオリティ、またアーティストとしての姿勢まで、見習うべき所を沢山持ち合わせナイスガイで、今回のツアーでは多くの時間を共有し、友人となる事ができたのは僕にとってこの旅のハイライトの一つだったといえる。

取材を済まし、皆で町を散策し、地元のDJたちとビールで乾杯。 翌日はこのツアーの要でもあるパタゴニアの国立公園を視察するためのツアーが予定されていたので、早めの就寝となった。 翌朝、ホテルに迎えに来てくれたガイドのマヌエルの車で出発、この日のツアーに同行する南米各国から集まった学生達を迎えるため、彼らが乗るピースボートが停泊している港へと向かった。

ピースボートは世界一周の船旅クルーズを企画、運営し、船旅を通じて国際交流を深めるという活動をしている日本のNGOだ。よく飲食店などにハガキつきのポスターが貼ってあったりするのでご存知の方も多いのではないだろうか? 今回パタゴニカの企画で、日本でのパーティを通して生まれた収益から、6名の学生にピースボートでの国際交流と、パタゴニアの国立公園への視察を体験させる資金を拠出していたので彼らも同行してのツアーとなった。

FUJI ROCK FESTIVAL 09

ワンボックスのバンに乗って、プンタアレナスから更に2時間ほど走るとトーレス・デル・パイネという名前のパタゴニアの国立公園に到着する。僕はこの日、自然が自然のまま残されるというのはこういうことなのかと思わされる圧倒的な自然のスケールに、度肝を抜かされ続けこととなった。広大な洞穴や氷河、ピンクフラミンゴをはじめとする豊かな動植物が 「野生」 の存在感とそれを意識的に 「保護」 することの大切さを頭ではなく肌で感じさせてくれた。







FUJI ROCK FESTIVAL 09

そして翌日はいよいよプンタアレナスでの "Patagonica" パーティーが開催された。 会場となるクラブの名前はなんと 「カミカゼ」、しかも入り口の看板はヤンキーが使いそうな日の丸から光がさしているみたいな日章旗。。。 南米南端の街にそんな名前のクラブがあるとは驚きだ。

FUJI ROCK FESTIVAL 09 FUJI ROCK FESTIVAL 09

クラブとしてはそれなりの広さがあって、スタイリッシュなVIPルームがあったりと中々の造り。ただし、現地の DJたちに聞くとオールナイトでテクノパーティが開催されるのは初めて!ということで、普段はレゲトンやラテンをプレイするスタイルのDJと一晩をシェアするのが普通だとのこと。 チリの南端の街でハウス・テクノのDJとして活動するのは大変なのだろうなと想像させた。

この日のパーティはチリの Patagonica DJ コンテストのプンタアレナス予選。 地元のDJたちから1名が選出されて、首都サンチアゴでの決勝にすすむことができる。

いよいよパーティ開始。

この日のパーティは注目度が高かったようで、お客さんの入りも上々で、白熱したDJ合戦が繰り広げられた。厳しい環境で活動しているというものの、それぞれのDJはレベルも高く、見ごたえのある戦いだ。 審査員でもあった僕は自分が一票を投じるDJを決め、後を引き継ぐ形でDJブースに立った。

海外でDJをやるというのはとても特殊な環境だ。その土地で目の前のお客さんが普段どういう音楽を聴いて、どのようなパーティで踊っているのか、自分の中にイメージがないので地元でプレイするのとはひと味もふた味も違う。 しかし、僕は個人的にそういった状況が大好きなので、数ヶ月ぶりにそういった環境に身をおける幸せを噛み締めながらのプレイ。お客さんのノリもよく、南米特有のピスコというお酒で作ったピスコサワーというカクテルをしこたま飲みつつ、初体験のラテンアメリカのお客さんとのパーティを楽しんだ。





お客さんたちも非常に楽しんでくれたようで、たっぷりとアンコールに答え、この日のコンテストの勝者、Pablo Sotomayor くんの名前を発表してこの日は終了。Pablo おめでとう!!

充実感たっぷりにお客さんやクラブの人たちと握手を交わし、朝のサンチアゴへのフライトをキャッチするためにホテルに帰還。



FUJI ROCK FESTIVAL 09

完全にピスコの酔いがまわる自分を奮い立たせパッキングをしていると、フライトがキャンセルになったとの緊急の連絡が入った。

「えっ、どうしたの?」 「パーティ中に中部の方で大地震があったらしい」
「え〜、ホント!?大きいの?」 「マグニチュード8.8だって」 「。。。。。。。。!?」

チリ中部に大地震直撃、マグニチュード8.8。
ここから僕らは1週間この街に缶詰になることになる。

翌朝、インターネットをチェックすると日本で僕らの安否を気遣う多くの連絡をもらっていて、感謝、感激、本当にありがたかった。 日本ではあまり多くの情報がなく、事態が掴めていないとのこと。しかしその時点では僕も何がなんだかわかっていなかったので、とりあえず無事を伝え、街の様子を見に行く事にした。

意外にもプンタアレナスの街に大きな変化はなく、人々も普通に暮らしている様子。 そうだよね、パーティ中もだれも地震に気づいてる風じゃなかったし。。 無理もない、日本で言えば東京、北海道ぐらい離れているような感じなのだ。 ただ飛行機会社と、携帯電話のお店にはありえないような行列ができていて、 今、この国が非常事態に見舞われていることを感じる事ができた。

そこから1週間は毎朝フライトが復旧してるかどうか確認するのが唯一の仕事といえば仕事のような毎日。しかしその時間のおかげで地元のDJやダンスミュージック好きの人たちと時間を共有することができ、交流を深めることができたことはとてもいい体験だったと思う。南米南端の街で本当にディープなお客さん2〜30人だけで急遽クラブのラウンジフロアを借りてのパーティを開催したり、メンバーの自宅でのアフターアワーズで昼まで踊ったのはいい思い出だ。

そんな生活を送りつつ1週間後、やっと空の便が復旧し、サンチアゴへと移動できる事になった。すっかりお世話になったプンタアレナスの人々に別れを告げ、一路サンチアゴへ! >>NEXT



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