HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

Justin Robertson Interview


「いろいろなタイプの音楽が聴けるようなパーティーを日曜の夜に始めたんだ。特に理由はなかったけど、僕も友達もその時ちょうどバレアリックな音楽に興味があってね。いろいろな音楽が聴きたかったから、Spice を始めた。そうしたら人が集まったというわけ。そういうものなんだと思うよ。ただ自分の好きなことをして、それに共感する人もいればしない人もいる。そこにマジックなんてないのさ」

寒さの厳しい冬の午後、Portobello Road にあるパブに座ってこう語る Justin Robertson が、Chemical Brothers のようなスーパースターをもインスパイアしたマンチェスターのインディー・ダンス・パーティー Spice をスタートさせてから19年という長い年月が経っていた。

「Tom と Ed は僕より2〜3歳年下なんだけど、彼らとは Spice や、Eastern Bloc というレコード屋を通じて会ったんだ」

「当時のマンチェスターはシカゴ〜デトロイト一色の町だった。そこで違ったスタイルの音楽をプレイしていた僕らに人々の注目が集まったのさ。バレアリックなスタイルにね。Tom や Ed も、違ったスタイルの音楽が聴きたくてパーティーに遊びに来たんだ。たまに彼らがパーティーに来る唯一のお客だったこともあったけどね(笑)」

Justin も Chemical Brothers も、20年近くクラブ・シーンの前線で活躍し続けるアーティストであり、Justin においては最近のエレクトロ・ハウス・ブームの波に乗って再びその名をシーンに轟かせ、今後は彼のスタイルであるエクレクティックなトラックを大量にリリースしていく予定だと言う。雄弁で現実的な彼、音楽業界に足を踏み入れることになったのは、全くの偶然だと断言するものの、皮肉なことに学生時代は にきび面した相当の音楽オタクだったらしい。

「僕が '80年代中盤にマンチェスターに来た時は、DJシーンなんてほとんど無いに等しかったよ。少なくとも今みたいな状況じゃなかった。でも、僕は常にDJ になりたいと思ってたんだ。レコードをたくさん持ってたし、自分の音楽テイストを人に伝えるのが好きだったからね」

「昼休みはいつもEastern Bloc で過ごしてたよ。学生補助金も全部レコードにつぎ込んで、一日中あそこで過ごしていたんだ。店員に煙たがられながらもね。それである日、ショップの店員が一人辞めたことをきっかけにそこで働き始めてね。そのうちに "パーティーを始めるんだけど、DJやる?" って聞かれて、DJをするようになったんだ。初めてのリミックスだって、ショップがレーベルをスタートして、契約したバンドのトラックのダンス・ミックスを作りたかったけど、誰も知らなかったしお金も無かったから、僕が名乗り出たんだ。スタジオに入った経験も無かったのにね。それらすべてが偶然に起こった。自分でチャンスを作っていったとも言えるかもしれないけどね」 ▼

以下は対談形式でのインタビューの模様をお伝えする
(Translation by Kei Tajima)

Skrufff (Jonty Skrufff) : 最近はどんな活動をなさっているのですか?

Justin Robertson: 昨年はずっとトラック作りをしていて、今年はそこで完成したトラックをリリースしていくつもりだよ。今現在、取り組んでいる中心的なプロジェクトが3つほどあってね。一つは Never Work という僕のレーベルで、初めのうちは僕の作品をメインにリリースしていくんだけど、そこからリリース第一弾として、理屈抜きにベーシックなハウス・ミュージックが3曲入ったEPをリリースするんだ。これは完璧にフロア向けのトラックだね。次にリリースするのは、' Yes It Is' っていう The Charlatans のシンガー Tim Burgess と作った西海岸っぽいギター・トラックなんだけど、これはもう少し…この表現はあまり好きじゃないんだけど、ホームリスニング的なスタイルだね。間違いなくクラブ・ミュージックではないよ。

それに、数年前に Nuphonic のためにやった Revtone プロジェクトもまだあるしね。リリースされなかったのはレーベルがつぶれたからなんだ。Revtone は、Brand New Heavies Soul Mekanik なんかのプロデュースを Kevin Andrews と一緒にやっている Mark Ralph って一緒にやっていてね。すでに6〜7曲作り終えていて、最終的にはアルバムを作りたいと思ってるんだ。最後は、Jez Dewar と一緒にやってる The Earls っていうバンドで、僕が歌を歌ってるんだ。Jez が音楽を作って、僕が歌詞を考えて歌ってるんだ。このプロジェクトにはすでにいろいろなレーベルから興味が集まっていてね。(Brian) Eno とか、Talking Heads みたいに、見栄っぱりな感じのバンドさ(笑)その他にも、Underwater からリリースするトラックを作ってたりしてる。ここ数年ツアーばかりだったから、ここに来てすごく忙しいよ。やっとクリエイティヴな立ち位置に戻ったって感じだね。

Skrufff : 歌詞を書くのは簡単ですか?どんなことをテーマにして書かれていますか?

Justin Robertson:歌詞を書くのは簡単だってわけじゃないんだけど、ただ歌詞は随分前から書いてるし、楽しいと思える作業でもあってね。アシッド・ハウスにハマる前は、The Fall や Joy Division 、The Smiths といったバンドが大好きだったし、彼らの歌詞は本当に興味深い、価値のあるものだったから、そういった言葉やフレーズを聴くのも大好きだったんだ。もちろん、彼らの歌詞を真似しないようにはしてるけど、彼らの歌詞からインスピレーションを受けてるとは言えるだろうね。歌詞は、時として自由に連想するものなんだ。David Byrne が書いた Talking Heads の歌詞みたいにね。物語はあるけど、それが必ずしも何かを意味してるってわけでもないのさ。

Skrufff : どのくらい自分の日常を歌詞に反映していると思われますか?

Justin Robertson:そうだね。70%くらいは自分の日常を書いたものだよ。でも、The Fall の曲でも素晴しいと思えるものは、ほとんどがスーパーマーケットに行く内容の歌だったりするからね。結構平凡なものが面白かったりするんだ。友達と飲みに行って、酔っ払うって内容の歌でさえね。だからほとんどの歌詞は、宇宙旅行や政治といった大きなテーマのあるものとは違って、一般的なスタイルだけど、その中でもとがった意見を反映したものもいくつかあるよ。

Skrufff : 音楽制作と同時に 始終世界中をDJして回られて…傍から見れば、何ともうらやましい休暇のような生活を送られているわけですが、実際、あなたの日常生活はどのくらい忙しいのですか?様々なプロジェクトを同時にこなしていくのはどのくらい難しいことなんでしょうか?

Justin Robertson:今はどこでも音楽作りが出来るようになったからもっといろいろなことが出来るようになったね。例えば、最近南アメリカで1ヶ月間 DJしてたんだけど、そこにも音源が全部入ったラップトップを持っていったから、自宅から離れていても曲を書くことが出来たってわけ。だから今は、飛行機の中でもホテルの部屋でも、時間さえあれば曲を書くことが出来る。例えば日本みたいに遠く離れている場所に行く時は、絶対にラップトップとノートを持って行くようにしてるんだ。たまに家にいたくなる時もあるけどね。最近では、ツアーに出ることは足手まといでも何でもないよ。逆にツアーに出てるときの方が集中できることだってあるんだ。

Justin Robertson Interview

Skrufff : どうやってツアーに対するモチベーションを保ち続けているのですか?

Justin Robertson: 実際に移動する時間にはうんざりしてしまうこともあるけど、工事現場で働いたり、工場でナシを缶に詰め続ける仕事よりかは、全然こっちの方がいいよ。DJは最高の仕事さ。いずれダメになってしまうかもしれないけど、それでもエキサイティングに感じるんだ。いつまでもDJを続けていけるのは、自分を音楽に対する情熱を満たすことが出来るし、情熱を満たすことの出来る音楽があるから。何年かの休閑期間を除いて、アシッド・ハウスの時代から常に音楽は進化し続けてる。だから常に興味をそそるんだ。エレクトロニック・ミュージック・シーンは常に革命を繰り返して、発展しているんだ。例えその本質は、クラブに行って音を聴くっていうベーシックなものであり続けるとしてもね。音楽は常に発展して、枝分かれしていくから、人々の興味を引き続けるのさ。それと比べてロック・ミュージックはシーンごとに波のような動きをするよね。だから新しいバンドの波が来れば、他のシーンは注目されなくなるのさ。ゴス・シーンなんかをみてみなよ。全然進化してないだろう?僕にしてみれば、もうブームは去ったってことさ。

それから、そこらじゅうの雑誌で取り上げられてた「ダンス・ミュージックの死」の記事なんて、最近ではすっかり陳腐な決まり文句になったしね。そもそも、そんなの全くの大ウソさ。少なくともかれこれ18ヶ月以上もお客が入っていないクラブでプレイしたことはないしね。ここ数年でシーンの人気はかなり復活してきたよ。それはただ単に、スーパー・クラブやスーパー・スターDJなんてものがなくなったからさ。若いクラウドがシーンに戻ってきたのは、Bacardi Breezer がスポンサーについてるようなダサいイベントが少なくなってきたからだと思うんだ。まぁ、今でも少しは残っているのは確かだけどね。

Skrufff : あなたは大学に在籍している時にDJとしてのキャリアを始められましたが、大学では何を勉強なさってたんですか?

Justin Robertson:哲学だよ。

Skrufff : その時両親はあなたが将来どのような職業につくと思われていたんでしょうか?

Justin Robertson:分からないなぁ。彼らにとって僕はいつも悩みの種だったからね(笑)。っていうのは冗談で、母親はもう亡くなったんだけど、父親は未だに僕のすることにいちいち困惑してるよ。ただ、彼の考え方は「合理的だし、健康的だし、幸せだし、面白いことをやってるから、いいだろう」って感じなんだ。僕がマンチェスターに引っ越したのは、The Fall や New Order といったマンチェスターのバンドに興味があったからでね。インディー・キッズだったし、Hacienda に行きたかったから大学もマンチェスター大学を選んだのさ。そうやってそこに行くようになって、アシッド・ハウスに出逢ったんだ。その形成期にね。僕も年をとったよなぁ。

Skrufff : にきび顔のレコード屋店員から、ビッグ・ネームDJ Justin Robertson に変化したのはいつ頃だと思いますか?

Justin Robertson:どうだろう。レコード屋を辞めた時かな。

Skrufff : 大学は卒業したんですか?

Justin Robertson:したよ。MBAも取ったしね。シーンが大爆発する前に、卒業資格を取ってしまったんだ。だから実際に卒業したのは '88年でね。ギリギリだったんだ。その年の夏にすべてが変わり始めたんだから。

Skrufff : Chemical Brothers の Tom と Ed はあなたの友人であり、よくあなたをインスパイアを受ける人物として挙げていますが、以前から彼らには他人とは違う特別な何かがあったのでしょうか?

Justin Robertson:そうだね。彼らは音楽に対する飛びぬけた知識や情熱を持っていたし、自分たちが好きなものに対して一途だった。いい音楽とダメな音楽の区別もきちんと付けられたしね。彼ら…特に Ed には、常に音楽の評価をしてもらっていたよ。バレアリックなスタイルの音楽には、吉と出るか凶と出るかが曖昧なリスキーなトラックもいくつかあってね。そういったものをよく Edに聴いてもらって、彼の意見を聞いたりしてたね。

一方、僕は 以前 Tom がやっていたバンド Ariel のリミックスやプロデューサーを何曲か手掛けてね。彼らが始めて作った 12inch "Songs For The Siren" を聴いた時の衝撃はすごかったね。今聴いてもすごいと思えるトラックだよ。同世代のプロデューサーで、あれだけエネルギーに溢れたトラックを作れる人はなかなかいないと思うな。

Skrufff : Babyshambles の Pete Doherty の帽子のかぶり方をどう思われますか?あなたのスタイルとダブっていませんか?

Justin Robertson:彼は帽子を後ろの方にかぶってるけど、僕は前の方でかぶっているんだ。それに彼には髪の毛があるしね。僕は目の部分を覆ってミステリアスな雰囲気を出してるけど、彼はもっとワルな雰囲気が好きみたいだね。

Skrufff : 彼とは面識があるんですか?彼の周辺の人々とは交流がありますか?

Justin Robertson:彼と面識はないよ。それに、多くの有名人を知ってることを自慢してるように思われたくないんだ。マンチェスターの Tim Burgess のことは知っていて、彼はああいったシーンと繋がってるけど、僕は彼らの仲間ではないよ。

Skrufff : 子供はいますか?

Justin Robertson: いないよ。

Skrufff : 将来の予定としては考えられていますか?

Justin Robertson: たぶん。でも近い将来ではないだろうね。いつかは子供が出来るだろうと考えたいんだ。最近になって子供が出来たっていうDJは結構いるけどね。

ただ、以前まではツアーに行く度にいろんなパーティーに顔を出してたけど、最近では朝一のフライトで帰るようにしてるんだ。長いツアーだったら長くステイするけど、それ以外はギグが終わったらすぐ帰ってくる。家庭を持つとそういう風になるものなのさ。

End of the interview


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