HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

J.C

Rotation Productions/Real Grooves プロデューサー、Josh Child。1999年、カナダのオンタリオ州ウォータールーにて Mike Shannon、Terence Kissner、Chad Breen と共にパーティー Rotation Fridays を開始する。2000年、東京への移住と共にその活動は国境を越え、ISM、WOMB、Module といった都内各所のクラブでのイベント開催を経て、遂に2003年2月、Space Lab Yellow に Kevin Yost と Richard Les Crees を招聘。そして2004年春、Real Grooves を始動し、2008年までの5年間、Yellow に多くのアーティストを招きシーンから大いなる支持を獲得してきた。Yellow の閉店に伴い現在は代官山UNITへ場所を移し、今尚愛してやまない音楽を、パーティを追究し、挑戦し続けている。

これらの活動のルーツとも言える Rotation Fridays 始動からの10周年を記念し、この度 ageHa にて、カナダ・日本両国のアーティストをフィーチャーしたスペシャルイベント Bunka Vibe を開催することとなった。

今回、10年もの間パーティーを開催し続けてきたプロデューサーである彼に着目し、インタビューを決行。知られざるその歴史や盟友 Mike Shannon との関係、日本とカナダのシーンへ刻んできた足跡を振り返ると共に、パーティに対する彼自身の思いが連ねられた、非常に興味深い内容となっている。


Interview : Hidehiko Takano, Midori Hayakawa (HigherFrequency)
Translation : Hidehiko Takano
Introduction : Midori Hayakawa (HigherFrequency)
Special Thanks : kawara CAFE

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--僕らはいつも色んな話をしているから知っているけど、今回は HigherFrequency を見ている人たちに知ってもらうという意味で、Real Grooves が始まるまでの経緯や、続けていく過程で感じたこと、今後の方向性などを中心に話をしようと思うよ。

まずは、9年前のこと、故郷であるカナダ、キッチナーを離れて日本に来ようと思った理由について話してもらえるかな?

J.C (Josh Child) : 漠然としているけれど、冒険(Adventure)、そして挑戦(Challenge)かな。新しい文化や言葉を学ぶためにね。色んな経験をし、新たな人たちと出会う。それが一番の目的だったと思う。日本の音楽シーンに興味があったというのもあるけど、それは主要な理由ではなかったね。

--実際に来る前は、東京、日本についてどのようなイメージを持っていた?どんなことを期待していた?

J.C : 東京、日本はとてもミステリアスな存在だったんだ。カナダの東海岸には日本の情報があんまり入ってこなかったからね。SUSHI、SUMO、GEISHA みたいなありがちな情報だけなんだ。だからとてもミステリアスな国に思えて、魅かれたんだ。

--来る前から名前を知っていた日本人アーティストはいるかな?

J.C : Fumiya Tanaka だね。Jeff Milligan から名前を聞かされていたよ。日本を代表するヒーロー的な存在のDJってことでね。あとは Ken Ishii も知っていたよ。アルバム "Jelly Tones" とかは聞いていたね。

--'00年8月末に日本に来て、すぐにイベントを始めた訳ではないよね。そもそもイベントをオーガナイズするつもりは無かったんだよね?

J.C : 全然そんなつもりは無かったんだ。むしろどちらかというと、パーティシーンから離れたくて東京に来たんだ。カナダではパーティばかりの毎日だったから、少し疲れていたのかもしれないね。そういった意味で、休息のため、気持ちをリフレッシュさせるために来たんだ。旅をしたり、言葉を覚えたり、文化に触れたり、とにかくそれまでと違う経験をしてみたかった。音楽は当初の目的では一切なかったんだ。ミステリアスな日本に触れてみたかったんだ。

--パーティシーンから離れるために辿り着いた日本で再びオーガナイズ活動をするにいたった経緯、きっかけは?

J.C : Yellowだよ。'00年8月に日本に着て大分経ってから、'01年の終り頃だったかな。当時付き合いのあった友達に連れられて初めて Yellow に行ったんだけど、入った瞬間にぶっ飛ばされたんだ。素晴らしいクラブ、空間にね。そこがきっかけでエレクトロニックミュージックの刺激とか感動を思い出したんだよね。そこから色んな人たちと出会って、少しずつ東京のシーンに関わるようになっていったんだ。

--そこから Real Grooves が始まるまでは、まだ少し時間がかかる訳だけれども、東京での活動の初期の頃にはどのようなイベントを手掛けていたのかな?

J.C : Sugar High っていう、昔、渋谷の道玄坂にあったバーで、Eiji Fukuda と出会って、彼と一緒に ISM というクラブでイベントを開催することになったんだ。カナダでパーティをオーガナイズしていた頃のレジデントの一人だった Jeff Milligan を招いてね。それから Ralph Lawson と Carl Finlow a.k.a Random Factor をゲストに WOMB でもイベントをやったりしたね。あとは、DJ Sodeyama のパーティを少し手伝ったりもした。Mathew Jonson とか Magda、Thomas Brinkmann とかをゲストに呼んだりしてね。

J.C

--今の Real Grooves がどのように出来上がっていったのかを話せる?Yellow でイベントを始めるまでの経緯とか、スタッフのとの出会いとか。

J.C : 少しさかのぼって説明しないといけなくて、そもそも、初めてYellowで開催したパーティは Real Grooves じゃなかたんだ。 "Rotation presents Kevin Yost Asia Tour" だったんだ。Yellow に遊びに行く内に、当時マネージャーだった有泉さんと仲良くなったんだ。音楽とかクラブシーンについて色々話したりしてね。そうこうしている内に、彼から 「土曜日の枠を用意したらどんなパーティをやってみたい?」 って言ってもらえたんだ。凄く嬉しかったね。即座に 「Kevin Yost をブッキングしたい」 って応えたよ。それが Yellow での始まりだったんだ。とにかくラッキーだったね。次のイベント、つまり一回目の Real Grooves 開催までにはまだ1年かかったけどね。一回目だけ Masayuki Sasaki と一緒に開催したんだけど、その後に友人の紹介で Hiroshi Tonomura と出会って、それ以降は二人でずっと Real Grooves をオーガナイズしてきたね。

--Sisi や Ozmzo a.k.a. Sammy といったレジデントDJとの出会いは?

J.C : 一時、渋谷の La Fabrique で開催されている Solid というパーティを手伝っていたんだけど、そこのメンバーを通じて Sisi を紹介されたよ。そこでの彼のプレイを聞いて、いいなって思ったのがきっかけで Real Grooves でプレイしてもらうことになったんだ。Sammy は Hiroshi が手掛けていたパーティで前からプレイしていてたんだ。

--そうやって少しずつ基礎が整っていったよね。我々の出会いも、僕がオーガナイズしたイベントに来てくれていたのがきっかけだったしね。

J.C : Simoon で Johnny Fiasco がプレイしたイベントだよね。覚えてるよ。とにかく、時間をかけながら出会いを少しずつ積み重ねて、仲間が揃っていったね。最初の頃はまだ形が出来上がってない感じだったけど、4回目の Real Grooves で Kevin Yost を再びブッキングした時にようやく土台が出来てきたんじゃないかな。あのパーティで初めて 「形が見えてきた」 って感じたよ。

--そこから先の Real Grooves について知ってる人は大勢いると思うのだけれども、それ以前の活動、Rotation としてカナダで開催していたパーティについては知らない人がほとんどだろうから、教えてもらえるかな。カナダのメンバーを今度の ageHa のパーティにブッキングすることについての思いとか。

J.C : 今の自分の全ての活動の原点にあたるメンバーだから、とてもエキサイトしているよ。特に、Mike Shannon は国際的に活躍するアーティストに成長してるからね。とても誇りに思っているよ。彼がまだ17歳の頃、小さいバーでDJしている時に出会ってね。仲良くなって、パーティを一緒に開催するようになったんだ。自分にとっては音楽の先生みたいな存在だね。Chad Breen は高校生の頃からの仲間で、地元キッチナーで Speed Records っていうレコードとか Mix tape とか、クラブウェアーとかを扱うお店を運営していたんだ。一緒に色んなことを学んで、覚えて行った仲間だね。Chad が Mike と出会って、そこに自分が加わって、Terrence も加わって Rotation の4人が揃ったんだ。そこに何人かのレジデントDJが加わることでイベントが始まったんだ。最近はベルリンを拠点に、Dumb Unit というレーベルを手掛けている Jeremy Caulfield が当時は Lotus という名義でプレイしたり、Algorithm (Jeff Milligan) とか Adam Marshall とかね。全部で8人のレジテントがいて。そのメンバーでローテーションを組みながら毎週金曜日にパーティを開催していたから "Rotation Fridays" って言う名前になったんだ。そこに月に一回は海外からゲストを招くようになってね。

--毎週パーティ開催するのは大変だったと思うんだけど、どうやって運営していた?

J.C : 当時、25歳とかだったと思うけど、ちょうど自分が大学に再び通うようになった頃でね。トロントのキャンパスでフライヤーをたくさん配ってキッチナーでのパーティに引っ張ってきたりしてたんだ。いつも大体500人くらいは集まってたかな。月1回のスペシャルイベントの時には700人、とかね。それが99年から00年まで、1年くらい続いたね。でも、クラブシーンにありがちな、お金とか色んな問題があってお店がクローズしちゃったんだ。ホームグラウンドを失って、新しい場所を探して開催したりもしたけどうまくいかなくて。ちょうどその頃に大学を卒業をしたのもあって、新しいことにチャレンジしなきゃいけない局面に立たされただよね。そんなこともあって日本に行くことになったんだ。

J.C

--今まで色々なイベントを手掛ける過程でカナダと日本、キッチナーと東京のシーンでどのような違いを感じた?

J.C : 最初に感じたのは、キッチナーと比べると東京のシーンがずっと大きいっていうことだね。キッチナーでは一つしかクラブがなかったんだ。僕らがイベントを開催していた Platinum Night Club だけ。ロフトパーティとかウェアーハウスパーティみたいなシーンはあったけど、いわゆるアンダーグラウンドなクラブは無かった。それと比べると東京はずっと規模が大きいし、色んな選択肢があるよね。規模という意味では東京はトロントに近かったのかもしれない。トロントの方が大きな都市で、Inudstry Night Club っていう有名なクラブではシカゴ、デトロイト、ニューヨークとかから有名DJが来てプレイしたりもしてたからね。Mark Farina とか Derrick May、Jeff Mills、Richie Hawtin とかね。でもそんなトロントでもクラブは3つくらいしかなかったけど、東京はもっとあったよね。

--規模的な違いだけでなく、内容の面でも違いを感じたと思うけど、音楽とか人という意味では?

J.C : ハウス/テクノのシーンに関して言えば音楽はとても似ていたと思う。ただ、人という意味では大分違いを感じたかな。いつも話してることだけど、音楽に対する反応の仕方とか考え方が違う。知識が豊富だと思う。日本人はトラック名とかプロデューサー、アーティストの名前を覚えているよね。カナダではそういう人は少ないかな。日本の人たちは学ぶのが好きなんだと思う。音楽について、その歴史とか色々ね。細部にいたるまで、読んだり、調べたりするのが好きなんじゃないかな。

--そういう違いは出だしからずっと感じていた?

J.C : 最初に感じたというよりは、パーティを開催していく内に少しずつ学んで行ったという感じかな。Yellow でパーティの回数を重ねて行きながらね。今でも毎回学び続けている感じだよ。最初に感じたことは、とにかくシーンが大きくて、明るくて、刺激的、ってことだね。

--一番最初のイベントから初めて10年間の活動を通じて変わった部分は?あるいは逆にと変わらないものって何かな?

J.C : まず、変わってないのはなによりも 「Good Music」 だね。人々を感動させる音楽。それをみんなに伝えて行くのがイベントをやる目的だよ。最初から今まで変わることの無い部分だね。逆に、変わってきたのは国や会場ってことだけじゃないかな。日本に来て、色んなクラブでイベントをやって。Yellow は素晴らしいクラブだったし、UNIT に移ってからも今まさしく頑張っているところだし。

--Yellow のクローズに伴って UNIT に会場を移したのは、予定外の出来事だった訳だけれども、何が一番の変化だったかな?

J.C : 人間関係だね。Yellow では時間をかけながら、スタッフみんなと信頼関係を築けたから、ほんと家族みたいな感じだったんだ。特別な場所だね。今は UNIT でまた新たに、UNIT の成り立ち、仕組みを学んでいるところかな。自分自身やイベントを自己紹介し直している感じ。

--UNIT に移って良かったと思っている点は?

J.C : リフレッシュされることかな。あらゆるものには変化が必要なんだと思う。何事においても一箇所にとどまっていてはいけない。変化はとても大事なことなんだ。鮮度を保たないといけない。人間は何か特定の環境に慣れ過ぎてしまうと、エネルギーを保てなくなってきてしまうと思う。居心地が良くなり過ぎてしまうと、飽きや甘えが出てくるんだ。DJとかスタッフ、あるいは遊びに来てくれる人も含めて、関わる人、全てがね。だから、常に新しいことに挑戦して、変化し続けないといけないんだ。

--どれも素晴らしいイベントだったから話しきれないと思うけど、あえていくつか記憶に残っているイベントを挙げるとすると?

J.C : 強いて言うなら vol.4 の Kevin Yost かな。最初にブッキングした時も素晴らしかったけど、その時は何もかもが初めてのことだったから、ナーバスになったしパーティを開催することそのものにエネルギーを使い果たしてしまっていたんだけど、2度目のブッキングの時はとにかくはっきり覚えているよ。雨の滴みたいにライトがフロアーに降り注いで、Kevin が素晴らしい音楽をプレイして、みんなが笑顔で、ニコニコしながら踊っているフロアーを見た時に、すごくスペシャルなイベントになったなって実感できたんだ。 あとは、vol.6 で Mike Shannon が Akufen と一緒にプレイした時かな。自分にとっては Akufen を初めてブッキングしたイベントだったし、Mike にとっても Yellow での初めてのプレイだったからね。Mike がプレイ前にナーバスになっていたのを覚えているよ。歴史ある Yellow でプレイすることについてね。Akufen とも良い信頼関係を築けて、今はレジデント的なDJとして毎年プレイしてもらえてるしね。 vol.9 も凄く良く覚えているね。John Tejada の I’m Not A Gun 名義でのライブをフィーチャーしたイベント。John のDJプレイ中、その旋律の美しさにとにかく感動したのを覚えてるよ。凄くエモーショナルだったんだ。 とにかくどのイベントも素晴らしかったから、特定のものを挙げるのは難しいね。勿論 Cobblestone Jazz のライブも。今回DVDをリリースできるのは凄く嬉しいことだね。

J.C

--イベントを通じて、アーティストとの信頼関係を築いていってるのも Real Grooves にとって凄く重要なポイントだよね。ネットワークを広げて行っている感じ。

J.C : そうだね。Mike Shannon を通じて色んな人たちを紹介されてきたんだ。Kevin Yost とか Jeff Milligan とか。Akufen、Mathew Jonson、Vincent Lemieux、Guillaume and the Coutu Dumonts。大半のアーティストは Mike から紹介してもらってるからね。

--Mike Shannon はベルリンにいながらにして国境を越えて Real Grooves をサポートしてくれてるってことだね。

J.C : 最初からずっとね。色んなアドバイスをくれるんだ。いつも Mike に 「誰か新しい、オススメのアーティストを教えてくれ」 って言っているんだ。Tiger Skin なんかも彼に紹介してもらったんだ。さっきも言ったけど、音楽の先生みたいなものだね。

--Josh 自身にとってパーティをオーガナイズする原動力は?

J.C : とにかく音楽を愛しているんだ。素晴らしい音楽に出会えて、暖かくて幸せな気分になれるようなパーティがシーンにもっとあったらいいなって思うんだ。幸いなことに自分はそういった感動を経験してきたから、それを多くの人にも味わって欲しい。クラブで一晩遊んで、外に出る時には笑顔で 「最高だった!」、って思いながら帰っていける事が重要なんだ。お金とか名声じゃないよ。

--音楽、パーティを通じたメッセージの発信という意味ではDJとかプロデューサーとか、他にも色々と方法はあると思うのだけれども、その中でオーガナイザーというポジションを選んでいるのはなぜ?

J.C : 表舞台に立って自分自身の名前を知られることよりも、カナダの仲間をサポートしたり、構想を練って、準備して、組み立てて、告知して、っていう一連の流れを出だしから手掛けることに楽しさとか喜びを感じるんだ。ゲストの飛行機とかホテルを手配したり、街を案内したり、食事に連れて行ったりね。日本の文化を見せたりするのが楽しいんだ。イベント全体をプロデュースすることにクリエイティビティを感じるし、ハッピーになれるんだ。

--今後はどんなことをやっていきたい?何か特別なプランはある?

J.C : 野外イベントをやりたいとは思ってる。でも、はっきりしたプランは無くて、ゆっくり、丁寧に育てていくよ。他の都市で Real Grooves を開催するのも面白いかもしれないし。

--ずっと続けていくつもり?いつまで進み続けるのかな?

J.C : それは正直なところ分からないね。難しい質問だよ。ほんとに分からない。今はとにかく音楽をエンジョイしているよ。野外での Real Grooves 開催を期待している人がいるのは分かっているけど、色々な意味でまだそのレベルに達してないと思う。まずは今回の ageHa での開催を通して、大きなイベントを手掛ける勉強をしないとね。

--最後に、この場で一番伝えたいことがあれば是非。

J.C : とにかく遊びに来てくれる人に対する感謝の気持ちを伝えたいね。イベントに関わってくれているDJとかスタッフにはもちろんだけど、遊びに来てくれる人たち、音楽を、イベントを楽しんでくれる人たち、その人たちがいてこそのイベントだから。Real Grooves は自分達オーガナイズスタッフのものではないんだ。例えばこうして目の前でインタビューしてくれている人達は勿論、遊びに来てくれている人達、あらゆる人達の Real Grooves だからね。みんなにとても感謝しているよ。

End of the interview




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