HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

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ネオアコ界を席巻した自身のバンド・Everything but the girl 解散後、突如DJに転身し、現在ではディープ / テック・ハウス界の押しも押されぬ英国産レーベル Buzzin'fly のオーナーとして活躍する Ben Watt。DJとしては初の来日ツアーとなった今回、AIRでのパーティー当日のサウンドチェック前の貴重な時間をいただいてインタビューをすることができた。

バンド界でもクラブ界でも通用してしまう比類なき音楽センスの持ち主である彼の、子供時代からの音楽遍歴や、32歳でDJに転身した当時の話を中心に、Buzzin'flyや先日立ち上げられたインディー・ロック系の新レーベル STRANGE FEELING の秘話などをじっくりと語ってくれた。本人の茶目っ気たっぷりの、暖かい人柄が伝われば幸いだ。

Interview and Introduction : Yuki Murai (HigherFrequency)
Translation : Yuki Murai (HigherFrequency)
Special Thanks : BASE Ltd.

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HRFQ : Loop、Magoでのギグはいかがでしたか?

B.W (Ben Watt) : 両方ともすごく楽しかったよ。Loop はクラブのつくりがロンドンの Plastic People を思い出すような感じだったし、Mago のサウンドシステムは音がウォームで素晴らしかったね。お客はどちらもすごく良かった。

HRFQ : あなたは元々 Everything but the girl でギタリストをされていましたが、Howie B氏の勧めでDJを始められたと聴いています。それより以前からDJプレイやダンス・ミュージックには興味をお持ちでしたか?

B.W : DJを始めたのは30代前半の頃なんだけど、当時はDJをやるなんて正直自分とは全然違う世界のことみたいだったんだ。ただ、エレクトロニック・ミュージックやドラムマシーン、プログラミングには興味があって、実は80年代後半には Everything but the girl でもギターだけじゃなくてプログラミングもやっていたしね。だけど、まさかDJをやるなんて全然思いもしなかった。

アルバム ”Walking Wounded” の制作で Howie B と一曲一緒に作ったんだけど、ある晩、彼がうちに来て一緒に曲を作ってるとき、僕がたくさん持ってたジャズのレコードを見て - 何故かって、父親がジャズ・ミュージシャンだったからね - 「次はいつDJをやるんだ?」って聞いてきたんだ。「DJはやってないよ」って答えたんだけど、「いや、君はきっといいDJができると思うよ」って言われてね。そのときは「まあ、それも面白いかもね…」って感じだったんだ。
で、ある日、TVを見ながら DJ Magazine の チャートやらレビューやらを読んでいて、最後のほうの「DJ House」の広告のページを見て『ターンテーブル、ターンテーブル、ミキサーか…OK!』ってなってね。それですぐに店に行ったよ。 ちょっと笑っちゃうような話だけど、そのとき僕はもう32歳くらいだったのに、例えば「スリップマットって何?」って感じで、スリップマットが何のためのものかもわからないような状態だったんだ。だけど、新しい『楽器』を学ぶのがすごく楽しかったんだ。

HRFQ : 最初にDJプレイをされた日はどんな感じでしたか?

B.W : 初めてDJをやったのは Dog ってクラブで、Mo' wax の James Lavelle が僕を最初にブッキングしてくれたんだ。James とパーティーで会って、お互い酔って笑いながら喋ってた時に「実は僕も最近ちょっとDJとかやってるんだよ」って言ってみたら、彼はびっくりして僕のほうを見て「そうか、じゃ君をブッキングするよ」ってね。その場はとりあえず「ああ、いいよ」って答えておいたんだ。(笑)
次の日になって彼から電話がかかってきて、「10日後にクラブでDJをやってくれないか?」って言われてさ。凄い話だよね。それから毎日、自分の家のベッド・ルームで練習してたんだけど…もちろん、電気はつけっぱなしでね。それで実際クラブに行ってみたら真っ暗なんだ!(笑) 『どこに何があるんだよ!』ってなって…(笑)

HRFQ : あなたを見てお客はびっくりしていませんでしたか?

B.W : いや、僕が出るってことは全然告知されてなかったから、ただ単に James の友達として出ていって、40分くらいプレイしたよ。

HRFQ : 本当に誰も「Ben Wattだ!」とか言っていなかったんですか?

B.W : うん、何せ Dog だからさ、たぶん「あ、Dog(犬)だ」とかしか思ってなかったんじゃない?(笑)

HRFQ : DJ活動をはじめられた当時、ファンやらマスコミからどのような反応がありましたか?否定的な反応があったりしませんでしたか?

B.W : 実際には賛否両方の反応があったよ。ある人たちはすごく支持してくれたし、とりあえずどうなるか様子をみてみようという人もいれば、DJ活動を選んだのは間違った選択だと言う人もいた。だけど、どの道を選ぶのか決めるのは、結局自分自身なんだよ。Bob Dylan がエレキ・ギターを使いだしたころ、彼はニューポート・フォーク・フェスティバルで、お客を(エレキ・ギターを聴きたい人だけに)分けたんだ。つまり、自分で決断し、自分で変え、自分で方向性を決めるべきなんだよ。

HRFQ : あまり周りの反応は気にしてなかったということですね。

B.W : そうだね。僕にとっては、DJ活動はいいアイデアだと思ったからね。

HRFQ : バンド活動、DJ活動を始められるより前の、音楽的バックグラウンドを教えていただけますでしょうか。たとえば、子供の頃に好きだったアーティストなど…。

B.W : 僕の父親は Columbia の Parlophone レーベルからレコードを出していたジャズ・ミュージシャンで、イギリスのジャズ・シーンですごく活躍していたんだ。Tubby Hayes、Ronnie Ross、ドラマーの Phil Seaman といった50年代から60年代前半の素晴らしいミュージシャン達と共演し、(The Beatles のプロデューサーとして有名な)George Martin のプロデュースで2枚のアルバムを出した。もちろん The Beatles よりも前のことさ。そんな音楽に溢れた環境で育ったんだ。本当に小さい頃から Charlie Parker や Bill Evance、Dizzy Gillespie なんかを聴いていた記憶があるね。
あと、母親の連れ子の兄姉達と一緒に住んでたけど、10歳以上年上だったから、みんな僕より随分大人びた音楽を聴いてたんだ。1人目の兄はちょっと『レフト』な趣味で、Roy Harper、Steely Dan、The Incredible String Band なんかを聴いてた。もう一人の兄はメインストリームな音楽が好きで、Carol King, James Tayler、Paul Simon とかを聴いていたね。姉はロックが好きで、Lou Reed、Santana が好きだったな。ジャズに Lou Reed にフォークに…音楽ならなんでもありな家だったけど、それが僕には普通だったんだ。

HRFQ : 自分で最初に買ったレコードは何でしたか?

B.W : 3枚思い当たるレコードがあるんだけど、どれが一番最初だったか思い出せないな。Roberta Flack の 'Killing Me Softly' 、Paul McCartney & Wings の 'My Love'、それとブリティッシュ・グラム・ポップバンドの Slade のレコードだね。3枚とも同じ時期に好きだったんだ。グラム・ポップと R&B と ポップ・バラード、僕にとっては全部一緒だったよ(笑)。

HRFQ : 素晴らしいことですね(笑)。 それでは続いて、あなたのレーベルの Buzzin'fly の話をきかせてください。Buzzin'fly というレーベル名の由来について教えていただけますか?

B.W : Jeff Buckleyの父親、Tim Buckley の曲のタイトルからとったんだ。60年代の後半に Elektra Records からリリースしていたジャズ・フォークのアーティストで、彼の声と音楽が昔から大好きなんだ。'Buzzin'fly' っていうタイトルはレコード・レーベルの名前にぴったりだし、いつか使えたらいいなとずっと思ってたから、この名前にしたんだ。

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HRFQ : Buzzin'Fly のレーベル・コンセプトを教えてください。

B.W : まず、Buzzin'fly は『ブランド』ではないということ。僕は『ブランド』という言葉が嫌いなんだよね…。Buzzin'fly はアンダーグラウンドな音楽から派生するサブカルチャーをサポートするものなんだ。コミュニティ、DJ、プロデューサー、パーティー、アンダーグラウンドな音楽の持つ空気感…それらを支える社会的なネットワーク、サポート・システムが Buzzin'fly なんだ。だから、コンセプトというのはちょっと違うかもしれないな。

HRFQ : Buzzin'fly からリリースをするアーティストを選抜するにあたり、何か重視していることはありますか?

B.W : まず、自宅で音を全部聴くんだ。その時はアーティストのプロフィールだとかアートワークは一切見ないで、音だけを聴くようにする。あと、曲がたまってきたらオフィスに持っていって曲をかけてみて、「あ、これは!」ってぴんとくる曲を探すんだ。すごく有名な人の曲かもしれないし、ただのデモ曲かもしれないけど、とにかく自分の耳を信じて、自分の耳を使って選んでるんだよ。

HRFQ : Buzzin'flyといえば、アートワークがカラフルでキュートでとても素敵ですよね。いつ見ても Buzzin'fly の作品だとすぐにわかります。よろしければグラフィックを手がけている人を教えていただけますか?

B.W : Buzzin'fly にとってアートワークはすごく重要だね。Factory Records の、Peter Saville が手がけたポップ・ミュージックらしいグラフィックデザインやレコードの雰囲気が大好きだったから、Buzzin'fly にも強い印象をもったイメージが欲しかったんだ。
7年前に ロンドン市内で Cherry Jam と Neighbourhood というクラブに関わっていたときに、グラフィック・デザインが必要だったんだ。それで、ちょうど I WANT というグラフィック・デザイン会社を始めたばかりだという John Gilsenan に会ったんだ。John はその時は Cherry Jam のロゴをデザインした。以来、僕は彼としか仕事をしてないんだよ。John とはいつもジョークを言い合ったりして笑えるいい信頼関係があるし、同じ理想や同じヒーローを共有しているんだ。彼の『目』は素晴らしくてね、Buzzin'fly の新しいレコードのタイトルを伝えると、すぐアイデアが挙がってきて、僕はそれを見て少々アドバイスを入れるだけなんだ。ほとんど彼一人のアイデアで、僕はただのエディターといったところだね。凄く信頼しているよ。

HRFQ : インディー・ロック系の新レーベル “STRANGE FEELING” をラウンチされましたね。こちらをラウンチしたきっかけなどありましたら教えてください。

B.W : (レーベル所属のバンドの) Figurines に会ったとき、彼らの音を聞いてすごくいいなと思ったんだ。で、彼らはまだUKでどこのレーベルとも契約してなかったから、それならってことで、今度はこれまでと違う種類の音楽を扱うレーベルを始めることにしたんだ。まず Figurines のレコード、そのあと The Unbending Trees と Tigercity のレコードを出したよ。このレーベルのアイデアはまだまだ全然初期段階なんだけどね。まず、バンドってのはお金がかかるんだ。DJは、バンドよりもお金がかからないよね(笑)。

HRFQ : “STRANGE FEELING”(不思議な感じ)という名前にこめた意味は?

B.W : これもまたTim Buckley の曲からとったんだ(笑)。

HRFQ : シンプルでいいですね(笑)。続いて、あなたの拠点、ロンドンのクラブシーンは今どのような感じでしょうか。

B.W : たくさんパーティーがあって、すごく忙しい感じさ。だけど問題は、パーティーがありすぎてパーティーに来る人が足りないってことなんだ。どこのレーベルもレコードが売れなくなったかわりにパーティーで稼ごうとしてイベントをやるからだと思う。加えてこの不況もあるけど、とにかく現状としては、ロンドンは『パーティーがありすぎ』という状態だな。少しシェイプして、変わっていくところだろうね。 それでも、ロンドンのシーンにはいつだって素晴らしい音楽があるよ。

HRFQ : これはロンドンやイギリス国内に限らなくてもいいのですが、現在注目しているアーティストや音楽的なスタイルなどがあればお聞かせいただけますか?

B.W : この質問は困るんだよな(笑)。 まず、カナダのモントリオールのバンド、Flowers and the Sea Creatures かな。彼らとは何曲か一緒にやっていて、できれば Buzzin'fly か Strange Feeling からリリースしたいなと思ってる。Radiohead と Kraftwerk が混ざったような感じですごく面白いよ。ボーカルの声がちょっと Thom Yorke に似てて、だけどエレクトロニックなんだ。僕はこのプロジェクトにはA&Rとして参加してて、じっくり進行中ってとこだよ。 あと、Buzzin’fly だと Chris Woodward だね。彼はロンドンでやっている Buzzin'fly パーティーのレジデントなんだけど、ついに自分の曲を作ったんだ。しかも、本当にすごくいい曲を2曲!今年の末くらいにリリースしようと思ってるよ。彼の将来も楽しみだね。

HRFQ : 東京もそうなのですが、ロンドンのアーティストがどんどんベルリンやロサンゼルスなど国外へ移住しているという状況があります。それをどのように感じられているか、あなたのご意見をお聞かせいただけますか?

B.W : いつの時代にもメトロポリタンな都市がひとつあるんだ。例えば70年代後半から80年代初頭はみんなニューヨークに行きたがっていた。コンディションが完璧だったんだよ。コントロールされてなくって、若いアーティストが住める場所が市内にあって、想像豊かで創造的だったんだ。最近ではそれと同じことがベルリンで起こっているよね。東西ドイツが統一して、東ドイツ側には住宅もビルも揃ってて、そして若いアーティストたちが集まってきてクリエイティブな環境ができたんだ。これも完璧なコンディションだよね。だから、皆がベルリンに行きたがる気持ちはわかるな。
僕は最近、次は南アメリカがそういう場所になるんじゃないかって思ってるよ。例えばサンティアゴ、サンパウロだとかね。ヨーロッパでもアメリカでもない都市がパワフルな文化の中心になったらすごく面白いことだと思う。Luciano や Villalobos みたいな、ああいう雰囲気だよね。

HRFQ : 本日のAIRでのプレイはどのような感じになりそうですか?AIRのことは以前からご存知でしたか?

B.W : うーん、『ナイトクラブ・ミュージック』 だね(笑)。AIRは映画に出たことのあるクラブだって聞いてるよ。

HRFQ : 最後に、日本のファンへ一言お願いいたします。

B.W : 野菜を食べて、暖かくして、お母さんに優しくね!

End of the interview



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