HigherFrequency  DJインタビュー

ENGLISH INTERVIEW

フランスはリヨン出身のDJ/プロデューサー Agoria。母国では Laurent Garnier と並ぶ程の人気者で、デビュー作 'La 11 e'me Marche' 以降の作品も Michael Mayer、 Francois K.、 Jeff MillsCarl Cox、 Sven Vath といったトップDJがプレイ。エレクトロ、ミニマル、テクノとシーンを跨いで鳴らされる作品は世界中で評価を得ている重要アーティストだ。そんな彼が昨年の12月に待望の再来日を果たし、最新のミニマルやディープなエレクトロ・サウンドで多くのクラウドを沸かす前に HigherFrequency がインタビューを決行。後にはリュック・ベッソン監督作品のサントラも担当するとのことで、まさに世界規模のトップ・アーティストとして君臨しつつある彼の素顔に迫った。

Interview : Ryo Tsutsui (HigherFrequency) _ Len Iima (HigherFrequency) _ Introduction : Masanori Matsuo (HigherFrequency)

triangle

HRFQ : 今回、日本に来る前に上海と広東でプレイされてきたようですがいかがでしたか?

Agoria : すばらしかったよ。僕にとってはじめての中国だったんだけど、北京とかでもないし、人々が音楽を気に入ってくれるのかとか、僕の音楽を知ってるのかとか、どういったリアクションをもらえるのかとか、どういう感じなのか予想もつかなかったんだ。でも皆すばらしかったよ。反応もすごく良かったし、すごくオープンマインドで、ミニマルなものでもテクノでもハウスでもディープなものでも何でもきちんとついてきてくれて、2時間のプレイの予定だったんだけど、4時間もプレイしてしまったよ。場所もクールだったし、初めての場所にしてはこれ以上ないって感じだったかな。

HRFQ : あなたの音楽的なバックグラウンドについて教えていただいていいですか?

Agoria : うーん、僕の母がオペラ歌手だったんだよね。まあ僕は違うから関係ないか、やってみようかなラララー、なんてね。まあ小さいころはいろいろ聴いていたよね。アフリカの原始的な音楽、トランス感覚を感じるようなものだったりとか、クラシカルなエリック・サティーなんかも聴いていたかな。でもほんとの意味で僕の最初のバックグラウンドといえるようなものはデトロイトのダンスミュージックだったね。おそらく12歳のときに買った Inner City の Goodlife が僕が買った最初のレコードだと思うんだけど、とにかく衝撃的だったね。それで Jeff Mills なんかを見たときに自分もいつか DJ になりたい!って強く思ったのさ。 Jeff Mills なんかは僕がファーストアルバムを出したときに僕のことをすごく押してくれてね。そういう意味ではすごく感謝してるよ。

それ以外では僕は非常に折衷主義で、いろいろなものから影響を受けるんだ。朝起きるときは Sly and the family stone なんかを聴いたりするし、クラシカルなものだったり、テクノやディープハウスを聴くこともあるし、それは自分がプレイするときも一緒だと思うよ。僕は一つのジャンルの音楽だけをプレイするタイプのDJじゃないんだ。こんなことを言うとくさいかも知れないけど、僕はストーリーをつむいでいると思っているし、人々もいろいろなムードの時があるから、いろいろなセレクションを持っているとそのムードに合わせることができていいのさ。

HRFQ : 以前にどこかで、あなたが自国フランスで、ダンスミュージックに肝要でない社会状況の中、テクノシーンを作りあげるために非常に大変な思いをされたことを読んだことがあったんですが、そういった中で活動を継続することは苦しいことでしたか?

Agoria : 今はそんなことはないんだけど、僕がパーティを始めたころ、90年代中盤なんかは政府が厳しくて、ドラッグばっかりやっているだとか、クラブにくるのは悪いやつばっかりだとか、音楽にソウルがないだとか、若い人によくないとか言われてて、パーティをオーガナイズするのがすごく大変だったんだ。クリミナルジャスティスを制定したイギリスみたいにね。だけどだからこそ楽しかったんだと思うんだ。むしろそれだけの抑圧がなかったら僕はDJを続けていなかったかもしれない。パーティができて、警察に見つからないような工場とか、会場を探すのも楽しかったし、そういったアドレナリンが僕自身に本当にこういう音楽を作りたいんだと強く感じさせてもくれたんだ。

今は簡単だよ。政府が場所代をくれたりするからね。例えば僕が地元リヨンで5年前に始めたフェスがあるんだけど、そのフェスが今では大きくなって4万人集めるんだけど、その経費の半分は街が出してくれたんだ。市長もきていて、僕らは市長とたくさんお酒を飲んで、僕は彼をまちのダンスミュージック好きな人たちに紹介して回ったんだけど、最後には彼は、僕らがこのフェスティバルやパーティを運営するのをサポートするって宣言したんだ。この音楽をサポートするってね。いつも最後はそうなるのさ。最初はよくわからないから怖がるんだけど、理解すれば助けてくれるんだ。

HRFQ : あなたのキャリアをここまで大きくしたものはなんだと思いますか? なにか明らかなきっかけというのはあったんでしょうか?

Agoria : 僕はラッキーだったんだよね。27歳のころの最初のころの作品が `La lleme Marche` なんだけど、皆がそのレコードをプレイしてくれて、皆が僕のことを知ってくれたんだ。メジャーレーベルの PIAS とも契約していたしね。それがスタートだったね。その後ツアーをたくさんやって、僕のことだったり、僕の DJ セットだったりを皆が知ってくれて、すばらしい時間を共有したことでキャリアを育ててこれたんだよね。それが僕がもっとも好きなことで、僕は音楽を作るのも好きだけど、それを人前でプレイすることがもっと好きなんだ。今日が今週5本目のギグなんだけど、ここにこれてすごくうれしいしね。

HRFQ : あなたは自分自身をDJだと思いますか?プロデューサーだと思いますか?

Agoria : 両方かな、僕はただ単にDJではないし、ただ単にプロデューサーでもないな。火曜日から木曜日はプロデューサーで、金曜日、土曜日はDJ。日によって違うんだ。

HRFQ : 最近 Amato や 3Beat といった大手のレコードディストリビューターが倒産し、ここ日本でも有名なレコード店が閉店を余儀なくされる状況が起こっています。こういった状況に対してどのようにお感じになりますか?

Agoria : この進化をコントロールすることはできないかなって思うな。ぼくらは退化するわけにもいかないしね。でも音楽の新たな流通だったり、新たなキャリアの作り方を作っていくことができるんだから、ある意味とてもエキサイティングだと思うよ。昔はCDを作って、決まった雑誌でインタビューを受けて、10公演ぐらいやればそれで良かったんだけど、今はだれもCDを買わないから簡単ではないよね。メジャー会社は新しいアーティストに大金をつぎ込んでいるけど、たくさんのお金を失うこともわかっていると思うよ。僕にとっては今はすごくエキサイティングだね。たから新しくレーベル InFine を立ち上げたんだ。今はたくさんのお金を失っているけど、新しいアーティストの音楽をシェアーするのは楽しいことさ。今こそ僕がそういった新しいアーティストをサポートするときなんだ。だって僕もたくさんのアーティストにサポートしてもらったことで今の僕がいるんだから、僕も同じようにするべきなのさ。

mp3 ダウンロードに関してもいいバランスがあると思うよ。とにかく僕は音楽の未来は心配していないよ。もともとCDはとてもコマーシャルなものだったからね。最初はミュージシャンはステージにいたわけだし、最終的にもステージが仕事場になるはずさ。本来そここそが音楽のいるべき場所だよ。CDやなんかっていうのはお金やアーティストのエゴのためのものだったのさ。僕はステージこそが音楽の行き着く未来だと思うし、レコードなんか売れなくても別にかまわないよ。

HRFQ : 2008年のスケジュールについてお聞かせください。

Agoria : これからの2ヶ月はしっかりとリラックスしながら、リュック・ベッソンの次の作品のためのサウンドトラックを作る予定だよ。それで2月からはたくさんプレイして、自分の人生を楽しむつもりさ。

HRFQ : 最後に日本のファンにメッセージをお願いいたします。

Agoria : 今回が前回ぐらいいい感じになるといいなと思っているよ。だって前回 UNIT でプレイしたときに、皆が音楽だけじゃなくて映像に対しても盛り上がっていて、それが僕にとって始めての経験だったから、すごくびっくりして、すばらしいと思ったんだ。それだけ皆が雰囲気だったり、パーティの全てに興奮しているんだということを感じれたから、それは僕にとってもっともうれしいことなんだ。それで来年も日本でたくさんプレイできたらいいなって思ってるよ!

End of the interview

関連記事


関連リンク