HigterFrequency COLUM

ENGLISH COLUMN

Mlab Column

[連載 : 第1回] 「マイ・ウェイ」はフレンチ・ポップスだった

テキスト:ムッシュ・Mラボ♪

不定期連載で、果たして何回続くかは書いている本人にもわかりませんが、ワタクシ「音楽業界の語り部」こと"ムッシュ・Mラボ♪"が、だれもがなん〜となく知っているようで知らない音楽著作権のことやポピュラー音楽の謎を解りやすく、かつ楽しく読んでもらおうというわけです。一回目のテーマは、名曲「マイ・ウェイ」の真実を追ってみましょう。

さて昨年の大晦日の夜、視聴率も低迷していたNHK紅白歌合戦で「マツケンサンバ」と並ぶほどの大熱唱だったのが布施明サン。かれが「マイ・ウェイ」を日本語の歌詞で見事に歌い上げた姿に感動したかたはこのサイトでは皆無でしょうか。

「マイ・ウェイ」には、常識のウソがいくつかあります。

その1:この曲は亡きフランク・シナトラの大ヒットで余りに有名になりすぎたため、誰もが「シナトラのための曲」だと信じ込んでいること。その理由は、世の洋楽好きオヤジ達がこの歌(英語詞)を自己陶酔の極致で歌う『カラオケの定番曲』になったために違いありません。いまやこの曲は、若者の失笑を買う「おやじ系の超クサーイ曲」というパブリック・イメージができあがっちゃっています。

実はこの曲は、フランスのポップ・シンガー、クロード・フランソワが創唱したれっきとしたフレンチ・ポップスなのです。原題は「COMME D'HABITUDE」(コム・ダビチュード:「いつものように」の意)、1967年にフランスで作られヒットしました。作曲(共作)もしたクロード・フランソワは、その数年前にはオランピア劇場(パリの代表的コンサートホール)にも出演を果たし、すでにフランスのロック・スター、ジョニー・アリディとならぶ人気スターでした。'68年には自らフレッシュ・レコードを設立、アラン・シャンフォーなどの若手スターを世に送り出すかたわら、雑誌社やモデル・プロダクションを経営するなど、実業家でもありました。(アルバムの写真をご覧下さい)

* マイ・ウエイの原曲版「COMME D'HABITUDE」の試聴はこちら

「マイ・ウェイ」常識のウソその2

もう少しくわしい知識を持っている人の中には、「この曲は、ポール・アンカ(「ダイアナ」「君はわが運命」などでおなじみの'50年代を代表するポップ・シンガー)が作った」という人も多いようです。でも正確には『ポール・アンカが、尊敬する大先輩フランク・シナトラのためにこのフレンチ・ポップスの曲に英語で訳詞をつけてトリビュートした』というのが正解なのです。時に1968年のことで、この英語詞で録音したシナトラの「マイ・ウェイ」は、翌年春に世界中で大ヒットしました。

さてこの曲のレコードが売れたり、コンサートで歌われたときには、誰がその印税を受け取るのでしょうか。作曲は、創唱者でもあるクロード・フランソワとフランスを代表する作曲家ジャック・ルヴォーで、作詞はジル・チボーとルシアン・チボー。この楽曲を管理するのはフランスのジュヌ音楽出版社とワーナーチャペル・フランスということになっています。ですからかれらは、間違いなく印税の分配にあずかっています。

通常、音楽の著作物(楽曲)が使用される場合、その使用者たるレコード会社やコンサート主催者(イヴェンター)がその楽曲を管理しているJASRACなどの著作権管理事業者に使用を申請し、規定の使用料を払って許諾を得ればいいことになっています。そしてJASARACに支払われた使用料は、その楽曲を管理している音楽出版社に分配(支払)され、さらに作詞や作曲をした著作者に再分配される仕組みになっていることはいまや皆さんご存知の通りです。(ただし、曲を歌ったり演奏したりした人は著作権とは無関係なので、著作権印税が配分されることはありません。)

ところが「マイ・ウェイ」には、訳詞として3つが登録されています。日本語では、紅白歌合戦で布施明が歌った岩谷時子・訳詞と、これとは別に片桐和子・訳詞、それにポール・アンカの英訳詞の3つです(上記作詞者・作曲者名ともにJASRACデータベースより引用)。これを適法訳詞といって、訳詞をしたひとにも原詞を書いたひとと同様に印税が支払われるシステムになっています。

でも訳詞として正式に登録してもらうためには、著作者の事前承諾が必要なのです。というのは、適法訳詞として支払われる印税は、もともとの著作者の取り分を減らして分配することになっていますので、原著作者の英断がなければ、なかなか認めてもらえないからです。 (例えばカバー・ポップス全盛時代には、外国曲は日本語の訳詞によって始めてヒットするという定説があり、国内の音楽出版社がこぞって適法訳詞を推進したという背景があります。)

かくして、「マイ・ウェイ」は、英語で歌われた場合にはポール・アンカに印税が支払われ、また日本語訳詞の場合には、適法訳詞者にも分配されることになっているのです。

さて、ポール・アンカによる英訳詞は、50歳を過ぎたシナトラが自らの歩んできた道をなぞるように振り返る含蓄に富んだ内容になっていますが、クロード・フランソワが創唱したフランス語オリジナル版「COMME D'HABITUDE」(コム・ダビチュード:「いつものように」)の歌詞は次のような内容です。 ♪私は起き上がって君をせかす。でも君は目覚めない。ぼくは急いで服を着ていつものように部屋を出る。いつものように一日笑って過ごし、日が暮れて君のいない部屋に帰ってくる。そして大きな冷たいベッドに横たわり、いつものように涙をかくしうわべをつくろう。いつものように君は帰ってふたりは抱き合うことだろう・・・

フランスの歌手兼事業家だったクロード・フランソワは、クロクロという愛称とともに国民的人気を博しました。きっとシナトラの大ヒットに伴って世界中からたくさんの印税が入ってきたことでしょう。しかし好事魔多し。

おそらく絶頂にあった39歳のクロクロは、ある日自宅で電球を交換していたときに誤って感電死してしまいます。その死からちょうど20年後の1998年、フランク・シナトラが世を去り世界中で「マイ・ウェイ」が鎮魂曲を奏でたとき、フランス以外の国でこの曲がクロード・フランソワによって創唱されたことを知るひとは少数派となっていました。

今風にいうと相当のイケメンながら気の毒な死に方をしたクロード・フランソワのオリジナル・ヴァージョン(2000年にフランスでCDが再発されています)を聴きながら、『「マイ・ウェイ」はフレンチ・ポップスだった』と、せめて世のオヤジ・オフクロ世代に正しい情報を語り伝えてあげましょうよ。

[第一回目・おわり]

このコラムに関するご意見・ご感想は info@soundgraphics.net まで

ムッシュ・Mラボ♪プロフィール
HigherFrequencyもいつも相談に乗ってもらっている「ナゾの」音楽関連法務のエキスパート。著作多数、大学などで教鞭をとったり、某大物アーティストの法務コンサルティングを手がけたりと多忙な毎日を送る。音楽を愛するHigherFrequencyの読者のために、その豊富な知識とエピソードを紐解いて、不定期ながら本コラムを展開していく予定。